2024年10月01日
近所の山
町の探検は一休みして、近所の山にご挨拶。
女神山599m、千貫森462m。
NHKの百名山のガイドさんは、ゆっくり歩いている。
その感じで登ってみた。
久しぶりの山歩きであるが、筋肉痛は出なかった。
2024年09月26日
2024年09月25日
川俣探検 川俣近郊農民騒擾事件 三義民の墓碑
義民の中で一番若い高橋元蔵39歳の墓碑。
次いで40歳の高野久四郎の墓碑。
直系の親族が健在のようで、新しく建造された墓地に祭られている。
墓碑の隣には、川俣町教育委員会の顕彰碑が設置されている。
直接の騒動当事者ではない。
事件に関連して毒殺されたと言われる氏家粂八67歳の墓碑。
最も苦労した墓碑で、裏山から無理無理登って、ここに到達した時は感動した。
帰りは、草刈りされた道を通り、鉄柵を中から開けて道路に出た。
誰か教えてくれる人がいれば、簡単なのにと改めて思った。
後ほど、探索経路などを書いてみたいと思う。
この「川俣近傍騒擾事件」は「川俣農民騒動」とか「川俣附近農民騒動事件」
などと呼ばれている。
慶応大学 氏家粂八.pdf
事件のあらましを知るに最適な論文を見つけた。
慶応大学法学部の論集(1987年)に手塚豊名誉教授が寄稿したものである。
2024年09月21日
川俣町探検 白澤(はくたく)3体 その二
もう一体は、川俣町東福沢という所の薬師堂にあるという。
道路脇にすぐ在るわけではなさそうで、この石柱が参道だろうか。
ま、それなりに整備されていそうなので、登ってみる。
草刈りは最初の15bほどで、途中はこんな感じ。
さっきまでの雨のせいか、ズボンがビシャビシャになった。
おまけに頭上の蜘蛛の巣に気が付かず、頭が蜘蛛の巣だらけに。
数十b先に、やっとそれらしい物体が見えてきた。
思ったより立派な御堂だが、アクセスが最悪。
向かって右側の彫刻が、白澤だった。
何んとも表現が難しい。
現代風に言えば、「キモ可愛い」とでも言うのだろうか。
およそモノノケ封じに最強の聖獣とは思えない風貌だった。
この薬師堂のすぐ近くに「才の神」という地名がある。
本来は「塞」または「境」であったはずで、南方面の村境を守るという
目的の御堂であったと思われる。
道路脇にすぐ在るわけではなさそうで、この石柱が参道だろうか。
ま、それなりに整備されていそうなので、登ってみる。
草刈りは最初の15bほどで、途中はこんな感じ。
さっきまでの雨のせいか、ズボンがビシャビシャになった。
おまけに頭上の蜘蛛の巣に気が付かず、頭が蜘蛛の巣だらけに。
数十b先に、やっとそれらしい物体が見えてきた。
思ったより立派な御堂だが、アクセスが最悪。
向かって右側の彫刻が、白澤だった。
何んとも表現が難しい。
現代風に言えば、「キモ可愛い」とでも言うのだろうか。
およそモノノケ封じに最強の聖獣とは思えない風貌だった。
この薬師堂のすぐ近くに「才の神」という地名がある。
本来は「塞」または「境」であったはずで、南方面の村境を守るという
目的の御堂であったと思われる。
2024年09月19日
川俣町探検 白澤(はくたく)3体 その一
月に二回、1日と15日に守谷早苗先生からメルマガが届く。
先生の旺盛な探求心と筆致の早さは驚くばかりだが、毎回楽しみにしている。
川俣町宮前の春日神社。
行かなきゃなと思っていたのだが、はて、何でだっけ?と忘れていた。
守谷先生の最新のメルマガで思い出した。
そうだ、白澤があるんだっけ。
白澤とは、顔が人面で下半身が牛という三次元の怪獣である。
要は、アマビエが二次元なら、こちらは神社仏閣に彫刻されている物で
あらゆるモノノケを退治する力があるという。
現在、県内に8体確認されているらしい。
そのうちの3体が川俣町にあるのであれば、これは見ておかなくては。
ということで、まず宮前の春日神社まで。
喜多方市の新宮熊野神社の長床のような御供殿が素晴らしい。
こういうのもあるんだ、と感心しきり。
また、大けやきも見事だ。
本殿。
いやはや、一杯彫刻があって、事前の準備が無ければどれが白澤だか分からない。
向かって右手の白澤。
下半身が牛であるので蹄が目印。
向かって左手。
写真を撮っていると、オバちゃんが二人登ってきた。
やはり白澤を見物に来たようだった。
けっこう、人気者なのかも。
次は、もう1体を探しに行く。
2024年09月13日
川俣探検 女神山 その1
自宅を出て直ぐの国道を福島へ向かうと、正面に女神山が出迎えてくれる。
ここはまだデジカメなど無い時代に登った。
昼なお暗く少々薄気味悪い前半だった記憶がある。
福島テレビの「新うつくしま百名山」では推奨されていないコースだ。
どうやら3通りある登山コースの一番よろしく無いコースだったらしい。
一番新しく綺麗な案内板を見ると、訳が分からなくなってきた。
天気が落ち着いてきたら、全コースを踏破するつもりだが、林道がややこしい。
とりあえず、ランドマークであるはずの山腹にある二つの神社に詣でることにした。
「月宮神社」で、祭神はツクヨミノミコト。
古事記ではアマテラス、スサノオ、と並び三貴子と呼ばれる位の高い神なのだが
神社に祭られているのは、月山神社くらいしか思いつかない。
何故にこの地に祭られているのかは、そのうちに調べんべましょう。
もう一つは女神神社。
扁額には「女神明神神社」とある。
祭神は小手姫なのかどうか分からぬが、六文字の中の三文字が神である。
この神社は地理院の地図にはマークが載っていない。
ひっそりとある神社で、これまた調べ甲斐がありそうである。
どのコースでも1時間とかからずに登頂出来るのだが、いかんせん暑つ過ぎ。
もう少しの辛抱。
2024年09月12日
約一時間を4秒でまとめると、こんなもん
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
昨日の練習会。
90秒で一回という設定で、インターバル撮影をする。
何やっているか分からないが、動画にまとめると、たったの4秒だ。
これで運動をやっているのかね、というふうに見える。
2024年09月08日
川俣散歩 東圓寺再訪
2011年の10月に、この東圓寺を訪ねた。
水陸斎感応記という、施餓鬼供養を代官所が催したところ、みごとに
天候が回復したという記念碑を見るためだった。
1815年からもう209年を経ている石碑だ。
掃き清められており、大事にされているらしい。
本日はこのお寺の西隣に代官所があったらしいので、それを見物に来た。
この地は上杉の支配を離れてから、幕末まで幕領だった。
あるはずの石碑が無い。
昭和47年まで県繊維工業試験場があったらしいが、一緒に撤去されたのか?
熱い中、歩いてみたのだが、何も無かった。
と云うことで、ちょっとフテクサレ気味なり。
2024年09月05日
週イチのペースは動く
前回はお盆休みを挟んだため、21日ぶりの体操会。
そのため筋肉痛を訴える会員さんがおられたが、なに、先生がそう。
やはり週イチのペースで開催出来れば、体は動く。
まる君、そんな格好で寝ていると、首が回らなくなるで。
2024年08月31日
川俣探検 作戦変更
川俣町の三義民のうち、高橋元蔵の墓碑は偶然から見つかったが、
あとの二人は苦戦している。
そもそも氏家粂八をググってみると、1面がこんなである。
10年以上前この町に来た時に、簡単に探せるものと思っていたが
だめだった、という云わば名前だけ載せたものなのに、引っかかてくる。
それほどマイナーなのだろうか。
旧国鉄川俣線の唯一の途中駅である「岩代飯野駅」跡である。
そして終点の「岩代川俣駅」跡。
この標柱が無ければ、絶対に分からない。
ここは何度も通った道であるのに、全く気が付かなかった。
高校の同クラスに川俣から通ってくる生徒がいた。
名前など忘れてしまったが、随分遠くから来るんだなという記憶がある。
ここから通っていたんだと思うと、感慨深いものがある。
あとの二人は苦戦している。
そもそも氏家粂八をググってみると、1面がこんなである。
10年以上前この町に来た時に、簡単に探せるものと思っていたが
だめだった、という云わば名前だけ載せたものなのに、引っかかてくる。
それほどマイナーなのだろうか。
旧国鉄川俣線の唯一の途中駅である「岩代飯野駅」跡である。
そして終点の「岩代川俣駅」跡。
この標柱が無ければ、絶対に分からない。
ここは何度も通った道であるのに、全く気が付かなかった。
高校の同クラスに川俣から通ってくる生徒がいた。
名前など忘れてしまったが、随分遠くから来るんだなという記憶がある。
ここから通っていたんだと思うと、感慨深いものがある。
とりあえずで真向法体操
だいたい、月に三回ほど開催できるようになった。
出来れば、やはり毎週と行きたいところだ。
「教えることは、教わることなり」という言葉があるが
まさしくその通りだ。
毎回、こちらが教えられる立場だと実感する。
2024年08月23日
ひび
三日前の朝、郵便受けを開けて新聞を取ったら、一緒に飛び出してきた。
それ以来、ここに住んでいる。
まる君は大好きな炊き込みご飯を炊いた土鍋をなめさせてもらっている。
この後、頭が御飯の糊でカペカペになり、リーゼント犬に変身する。
森合の家に行って、少し荷物を積んでくる。
庭のイチジクが収穫出来た。
2024年08月18日
川俣町探検 (偶然の出会い 高橋元蔵)
ほんの辻褄あわせのような小さな公園?が近くにある。
犬でもいなければ、立ち寄らないような公園だ。
そこから変な屋根が見える。
何かのお堂のようである。
よく見えるように場所を移動して撮った画像。
しかし、見えるだけでここからは近づけない。
一旦、山を下りて別ルートで登らないといけないらしい。
PCでGoogleマップで見ると、子育観音とある。
どれ、見てくっぺと自転車で出かける。
特に目を引くような観音堂でもない。
しかし、敷地を広くもらっているなぁ、という感想。
きっと地元では大切にされているのだろう。
右手を見ると、石碑と墓石かと思われるものが並んでいる。
奥まで見に行って正解だった。
なんと、明治4年の「川俣近傍騒擾事件」で死罪になった義民の墓があった。
「氏家粂八」「高橋元蔵」「高野久四郎」の三人は、訪ねてみようと思っていた。
思いがけず、その中の一人、高橋元蔵の墓があった。
それも、家から直線距離なら100bとないような場所である。
藪蚊がうるさいので、とりあえず手を合わせ、早々に退去する。
ともあれ案内の標柱が朽ち果てる前で良かった。
(川俣町HP)
犬でもいなければ、立ち寄らないような公園だ。
そこから変な屋根が見える。
何かのお堂のようである。
よく見えるように場所を移動して撮った画像。
しかし、見えるだけでここからは近づけない。
一旦、山を下りて別ルートで登らないといけないらしい。
PCでGoogleマップで見ると、子育観音とある。
どれ、見てくっぺと自転車で出かける。
特に目を引くような観音堂でもない。
しかし、敷地を広くもらっているなぁ、という感想。
きっと地元では大切にされているのだろう。
右手を見ると、石碑と墓石かと思われるものが並んでいる。
奥まで見に行って正解だった。
なんと、明治4年の「川俣近傍騒擾事件」で死罪になった義民の墓があった。
「氏家粂八」「高橋元蔵」「高野久四郎」の三人は、訪ねてみようと思っていた。
思いがけず、その中の一人、高橋元蔵の墓があった。
それも、家から直線距離なら100bとないような場所である。
藪蚊がうるさいので、とりあえず手を合わせ、早々に退去する。
ともあれ案内の標柱が朽ち果てる前で良かった。
(川俣町HP)
2024年08月10日
三方山に囲まれる
隣家との境界に咲く、いわゆる雑ユリ。
まずはユリの花が出迎えてくれる。
家を出ての東側。
山が近い。
しかし、にょろにょろ等の心配は無さそう。
道路北側も山。
道路南側も山。
アマゾンでワンコの餌を頼んだら、玄関での置き配ではなく、
呼び鈴での確認配達だった。
そうだった。
表札が無かったのだ。
福島へ行ったついでに、長年使用の物を持ってきた。
2024年08月07日
「新たな歴史」 久々の更新なり
7月某日、住み慣れた森合を離れる。
この団地で10年間にお世話になった方々に挨拶してまわる。
「どこ行くの?」と聞かれ、笑って「〇〇町です」というと
皆んな「へっ?」という顔をして、一様に笑い出す。
ともあれ、この地で時を刻みはじめる。
家具は使いなれたもので、ワンコもいち早く順応。
八月に入り、持ってきた鉢植えの月下美人が咲いてくれた。
ようやく、光回線が開通。
約3週間ぶりにPCが使えるようになった。
スマホでも自分の欲しい情報は得られるのだろうが、不便だし
Wi-Fiが無いと、イライラするばかりだった。
これでテレビとサヨナラできるかと思ったのだが、折しもパリオリンピック。
少し仲良しを継続しなければならない。
2024年07月14日
ど根性、ふたたび
震災で忘れ去られた因縁のあるシャコバサボテン。(2017/12/27の記事)
めっぽう元気が無い。(GW後)
さては根つまりを起こしたのかと、土を入れ替える。
このサボテンはいささか思い入れがあるのだ。
二週間後、目に見えるような兆しがない。
回復してくれるだろうかと心配。
二月後の本日。
もう大丈夫のようだ。良かった。
2024年07月10日
2024年07月08日
2024年07月05日
2024年07月04日
寂しいけれど、これも良い
昨日の吉井田学習センターでの練習会の風景。
都合の悪い方々が続出し、僅かに三人の参加。
中身の濃い練習をすんべましょう、と始まったが、これはこれで
なかなかユニークな練習会になった。
今後の練習の進め方の参考になる会であったと思う。