2004年09月28日

コスモス畑?

現在、組合のHPを作成中である。
全組合員のお店のデータベースを作るために、小生まで借り出された。

小生の割り当ては40軒あまり。(ヒェ〜)
5軒分は西口喜多屋(組合長)に丸投げ(脅迫)したので、30数軒。
本日、最後に残った4軒分を撮影して無事終了となった。(ヤッター)

失礼ながら、場所的に知らない人も多いと思うが、
県庁ともみじ山公園との間に「もみじ食堂」さんがある。

momijisyokudou

小生も訪ねるのは久しぶりである。
ちょうど休み時間であったため、撮影のため暖簾をだしてもらった。
撮影が終了し、ふと振り返ると、あたりはコスモスだらけ。(スゲー)

そうなのだ。コスモスの時期なのだとあらためて眺める。
板倉神社の裏手になるので、これを背景として・・と写真を撮る。
(うぇ〜 一眼レフのデジカメが欲せーっ!)

kosumosu

これを眺めながら食事をするというのも、風流というものか?


posted by 山口屋散人 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

蕎麦粉?

蕎麦屋であるから、当然ながら蕎麦粉には多少のこだわりがある。
「多少」としたのは、「コノ辺デ止メトコ」という自戒があるからだ。

蕎麦というものは「物狂いの文化だ」と司馬遼太郎は言う。
数寄の文化の延長上にある、というのだ。

なるほど、TV等によく出てくる蕎麦屋の親父はちょっと変である。
蕎麦を打ちすぎて腰が変形しているとか、良い水を求めて、
あるいは自家栽培・製粉したいがため他県にまで引っ越すとか、
偏執狂かと思ってしまう。

町の蕎麦屋が「物狂い」に走り、究極の蕎麦だの何のと言い出して、
一杯1000円のもり蕎麦を売り出したりしたら、近所迷惑である。

「研ぎ澄まされた感性、一部の隙もない、妥協を許さないこだわり、
良材を求めて全国各地を歩き回り、遂にここに究極の蕎麦が完成!」

な〜んて蕎麦があったら、面白いけど、食べてみたいとも思わない。
きっと、自己満足だけのものであろうし、
そもそも食べ物に究極などあるわけがないと思っているからだ。

matinosobaya

蕎麦はある程度の水準以上のものは「好み」でしかない。
それが全てである。



posted by 山口屋散人 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 麺類学 | 更新情報をチェックする