佐藤新右衛門と言うと一休さんの「しんえもんさ〜ん」と
いうのを思い出すが、それとは別の新右衛門である。
小林金次郎著の「ふくしま散歩」によると
「大鳥城主佐藤基治十八代の孫といわれ六十五歳で没したが
桑折町大安寺に堰起院良安覚誉助伯居士となり、
世に誇る
こともなく静かに眠っている」とある。西根堰の二人のパイオニア、古河善兵衛と佐藤新右衛門に
ついて、とりあえず 古河善兵衛の墓には昨年ついでの折に
詣でたことがある。(2005年5月のブログに在り)
今回の西根上堰探索の自転車行では、ちょっと寄り道をして
桑折町の大安寺を訪ねることが出来た。

コの字型に墓地が配置されており、その片隅に遠慮がちに
その石碑はあった。ただし、元の石碑はどれであるのか
確認が出来なかった。

昭和59年になって地元新聞に、実はこの二人は斬り合いをして
二人とも命を落とすことになったと公表された。
秘蔵されていた古文書が世に出ることになったためであるが
真実は果たしてどうなのだろうか。
小生としては、やはり古河善兵衛には李平で馬上切腹をして
欲しいような気がする。

上杉藩主に何らかの勘気をこうむり、その弁明のためか
米沢に急行する途中の李平あたりで、逆に米沢からの急使に
出会う。藩主の意を伝えるその急使の言を聞くやいなや、
馬上にてそのまま「これをごろうじろ」とやにわに刀を抜き
去り、腹に突き立てる。
急使、驚きて「古河殿、古河殿!」と周章狼狽し・・・

なーんて小生は勝手に話を作っているのだが・・
posted by 山口屋散人 at 01:12|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
福島
|