代々高子村の名主でもあり、彼の名勝「高子二十境」は
里山に関する本でその存在を知っていた。
さる本によれば彼の墓は<大田南畝>の筆によるものだと
いう。しかも、その墓所はこの間うろちょろした東根の郷、
阿武隈急行、高子駅のすぐ近くではないか。
行って見学してくべぇ。
早速、朝飯前に行ってきた。
ところがなかなか分からず、地元の人の世話になった。




題字を書いたのが大田南畝かどうかは分からないが碑文は
たしかに大田蜀山人先生のものだった。
この辺りでは熊坂家というのは名家らしい。
東根堰の例のマルタンクのすぐ近くに堰の顕彰碑が建って
いるが、三人のうちの二人が熊坂という名である。
覇陵の一族子孫なんだろうな、きっと。