
この小説が芥川賞を取ったのは昭和48年だそうだ。
ちょうど大学生の時だった。
当時作家が60歳を過ぎての受賞ということで話題になった。
単行本を早速買い込んで読んだ記憶があるので、この頃まで
芥川賞受賞作品は読んでいたのだろう。
明治生まれの下宿のお婆さんは和歌などを嗜む高等女学校卒の
インテリであった。たまさか何かの用で訪ねた時、この本が
話題となり、絶賛していたのだが、「歳をとらないと分らないか
も知れませんね」と話していた。
確かにやっと二十歳を過ぎたばかりの小生はというと、
どこが良いのか分らない、読み辛い小説という感想だった。
しかし、何か気になるので、
「いずれまた再読してみよう」と脳に刻みを入れておいた。
月山には3年くらい前に登ったことがある。
白装束の登山者がいたりして、信仰の山だなという気が
したものだが、こちらはリフトを使っての観光気分だった。
小説「月山」のことは頭の隅にあったが、再読してみようと
いう気にまではならなかった。

弥兵衛平から亡羊とした西吾妻山を見た時、ふっとこの記憶
が蘇った。晩秋のモノトーンのような湿原に、死者の向かう
山というフレーズを思い出したのだ。

月山の単行本、捨てはしないのでどこかにはあるはずだった。
しかし、こういうのは探すより買ったほうが早い。
消長の激しい新刊書店にはもはや置いてなかったが中古の
書店で文庫本を見つけた。
さっそく、あわてず騒がず心を落ち着けて再読してみる。
この30年余の間、それなりの人生を送り、ものを見、考え、
小説その他も通算して千や二千は読んでいるだろう。
その自分が今度はどのような感想をこの小説に持つのか興味
があった。

隣の県に住みながら、ひどく山形弁が読み難い。
月山に登ったとはいえ、庄内地方から見たことはない。
まして冬の月山も知らないし、雪に埋もれたこともない。
話のヤマがあるような無いような・・
横光利一的なその手法が良いという人もいるが・・
森敦という作家は嫌いではないのだが、それとこれとは別で
何か波長が合わないとでもいうのだろうか。
結局、やはりどこが良いのか分らないのは同じだった。
この30年、この本に関してはまるで進歩が無かったようで
残念であるようなないような、何とも複雑な気持ちである。
posted by 山口屋散人 at 22:11|
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