2007年10月11日

大野九郎兵衛の墓?

199?年のことなのだが、F班長と一緒に奥羽線で峠駅まで行き
旧米沢街道を庭坂駅までトボトボと歩いたことがある。
峠駅に朝9時前に着き、あちこち引っかかりながら庭坂駅には
午後の5時ごろ到着した。
駅で一時間ほど待って登り列車で福島に戻ったのだが、
近年あれほど疲れたことなどないというぐらい疲れた。
その時の話は色々とあるのだが、何故か書く機会がなく
今日にいたっている。

デジカメも無ければ、PCも未だ持っていなかった頃である。
下調べなども限界があり、地図とコンパスだけで、とにか
くも歩き出したようなものだった。

ともあれ峠駅と板谷駅の間に馬場平という地がある。
そこに赤穂浪士でおなじみの大野九郎兵衛の墓がある。
事前にそんな知識などなかったので、もちろん喜んで
その時も見に行った。

今回、明星湖の帰り道に久しぶりに寄ってみた。

DSCF1995.jpg

街道沿いの案内板も当時と変わっている。

DSCF1999.jpg

さすがに供養塔だか墓だかは変わっていない。
しかし、案内板の文言は以前と違う。

DSCF1997.jpg

何が違うかと言うと、この石塔が明和年間に建てられたこと
にまったく触れてないのだ。

DSCF2000.jpg

明和という時代は討ち入りからおよそ70年ほど後である。
以前の案内板はその点に触れていたのだが、正直に書くと
信憑性が薄れるとでも思ったのか書いていない。

それにこの案内板の前段の部分だが、大野が板谷峠で第ニ陣
をはったことが史実のような書き方である。
そしてその彼がこの地で切腹し主君の後を追ったのだと
『言い伝えられております』と切腹については曖昧な表現だ。

で、この碑は何時、誰が、どうして造ったのか、書いてない。
以前のは、○十年後にこの辺りの百姓某が建てたと書いてあ
ったはず・・なんだけど・・ね。

Webで調べてみると、大野の墓と言われるのは全国に何箇所か
あるようだし、板谷峠ではなく、手前の我が福島の李平で待ち
構えていたのだという説もある。
李平のその地に大野を祀った小祠もあるという記述も見つけた。
本当かいな。初めて聞いたぞ、そんな話。
posted by 山口屋散人 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 福島 | 更新情報をチェックする