毎年(ここ数年だが)見に行くシラネアオイの咲く西郊外の
山に出かけてきた。
いつもの年は五月の子供の日近辺なのだが、少し遅いくらい
なので、咲き始めくらいにぶつかるかな、という思惑。
残念ながら、一株たりとも咲いていなかった。
仕方が無い。周辺を歩き回る。
例年咲く場所までも、そこそこの距離は歩くのだが、何故か
コシアブラの木は見たことが無い。
この山はコシアブラの無い山なのだなと思っていたのだが、
そういう眼であらためて見ると、あらら、そうではなかった。
あったのだ。
ただ、里山のような木の形と肌合いではないので、気づかな
かったのである。
この山のコシアブラは皆、成木(高木)なのだ。
芽がついてなければ、見逃していただろう。
少しは頂戴してきたが、採取不可能の高さの木が多い。
(だから僅かの芽をとるために木を切ってしまう不心得の
者がいたりするんですな。ここは幸い無かったけど。)
何故なのか。
幼児がいて、小学生がいて、順に老木がいるという
そういう環境ではないらしいのである。
若木が育ちにくい環境なのかもしれない。
(出生率が下がっている現代日本と同じ?)

ともあれ、ここまでのアクセス道の所々の駐車スペースで、
下をのぞくとどこもが、このような有様になっている。

2,3年で腐ってくれれば良いのだが、そうもいかない。
posted by 山口屋散人 at 21:59|
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