ある領地(福島分で26500石)を拝領し、喜び勇んで初のお国入り(1704)となった。
その時、伏拝の坂で待ち構え、直訴におよんだのが菅野作左衛門である。
義人と称される人は多いが、一揆の指導者というのではなく、この菅野作左衛門
のような単独犯?は珍しい。(直訴はご法度、内容原因はともかく処断される)
顕彰碑は渡利の仏眼寺にあるのだが、彼の墓の所在が分からなかった。
ものの本には『渡利山之内』にあるとされるのだが、その山之内が現在の住居表示
には存在しないのである。
仏眼寺の近くには山之入という地名があるので、この近くかと漠然と思っていたの
だが、同じ渡利でも数キロ離れた立子山に近い地区だった。
「福島街角の信仰」というブログを書いているfukutanさんのお陰で分かった。
早朝6時、仕事が休みという気楽さから、ちょっと出かけてきた。




