2011年10月10日

川俣町散歩

東西南北どちらに向かおうかと考えながら家を出る。
どっちに行っても、課題はある。
この日の車は東南東に進路をとった。
川俣町、立子山方面へと走る。

そういえば、川俣町の古川町長は昔、長距離選手だった。
現役で走っている姿を何度か見たことがある。

先ずは小手姫の像を見ることにした。
地元の人達の評価は知らないが、誰かが低俗だと書いていた。

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思ったほど悪くなかった。
これはこれで良いのではないだろうか。
川俣市街地から望める地に立っていれば、良かったろうにと思う。
小生としては、むしろ傍にある峰能観音のお地蔵さんに気をひかれた。

次いで、機織(はたおり)神社へ向かう。
今まで通りすがりに此処が機織神社だと信じて疑わなかった所は
違っていて、御霊神社だった。

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イメージ的には川俣町とくれば機織神社と連想される気がするが、
間違いかと思われるくらい質素な神社であるので意外だった。

次いで、東円寺の「水陸斎感応記」の石碑を見物に行く。

天明の飢饉からおよそ30年余のち、天候が思わしくなかった。
このままではまたあの飢饉の再来かと川俣代官所の補佐役が、水陸斎という
施餓鬼供養を行った。するとあらあら不思議に天候が回復したという話。

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明治4年に起きた「川俣農民騒動」の氏家粂八の墓を訪ねたかったが、
下調べが足りなくて断念。次回にまわす。

帰りがけ、気になっていた篠葉沢稲荷神社へと向かう。
川俣街道を走れば、大きな看板が眼につくこともあり、お産にまつわる
民話伝説も存在する神社だ。

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ちょうど茅輪(ちのわ)神事の期間だったらしく、蘇民将来(そみんしょうらい)と
唱えながらグルグルとメビウスの輪を描いてきた。

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12社の分社があるらしいが、本社にあたるここは意外と狭い。
車も数台しか置けないだろうし、お祭りにはどうしているのだろう。

posted by 山口屋散人 at 04:48| Comment(4) | ちょいTrip | 更新情報をチェックする