青森県三沢市の先人記念館は、廣澤安任の記念館と言ってもおかしくない。
開拓は彼一人によるものでもないので、まとめて先人として、敬意を表して
いるのだろう。
その展示物の中で、珍しいものを見た。
廣澤が亡くなった時(明治24年)の香典控えだ。


(拡大用)
もう120余年が過ぎているので、誰はばかることはないのだが、こういうものは
めったにお目にはかかれない。
山川浩の香典は断トツ一位の5円。
柴四郎(東海散士)は3円。
大山巌は1円50銭。
下の方に西周の名も確認できる。
山川浩は陸軍少将までなり、現筑波大学、お茶の水女子大の校長などを
やっていた時期であるが、食客が多数おり、終生貧乏をしていたという。
しかしながら、5円。
この時代の1円の価値はどうなのか、学芸員さんに問うてみたのだが、
そんなことを聞くのは、小生が初めてらしく、分からないと言う。
ネットの時代はその気になれば、簡単に調べがつく。
そのまま信用できないのが難点だが、いくつか当たれば、大体わかる。
3800倍にして現在に相当とするものがあるが、ちょっと?
この時代、長崎市での農作業雇の女性の月額は2円前後。
機織りの仕事は月額4円前後という資料がある。
農作業雇というのが、いまいちよく分からないが、機織りは工場勤めと
考えれば良いのかなと思われる。
日本がまだ貧しく、労働者の地位もはるかに低い時代である。
山川が差し出した香典は、現在の10万円を超える価値であったようだ。
posted by 山口屋散人 at 13:06|
Comment(2)
|
もろもろのこと
|