2011年02月26日

蓬莱岩と蓬莱発電所を見物

先週、松川の西光寺からの帰り道、見たことが無いと友人が言うので
蓬莱岩を見物に行った。

P2202428.jpg

福島で育ち、高校卒業までは福島市民であり、実家も市内に存在している友人が
いたく感激しておった。確かにここから眺める蓬莱岩は見事ではある。

   犬

ついでに蓬莱発電所にでも寄ってみようかということになった。
地図を見ると近くまで行けそうだ。

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何か無造作に・・という感じで近づくことが出来た。
そして見学者を想定しているのかどうか、タービンが展示してある。

P2202469.jpg P2202458(1).jpg P2202461.jpg

上流にある飯野町のダムで溜められた水が導水され、一旦発電所の上の調整池に
プールされ、そこから放水管の中を一気に下り、タービンを回す。
そして水流を弱められて、また静かに元の阿武隈川に帰っていく・・。

調整池.jpg P2202462.jpg P2202476.jpg

何とはなしに、人の一生を思った。
posted by 山口屋散人 at 00:01| Comment(10) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 何とはなしに、人の一生を思った。
先生、重いっす。重いっすよ・・・。

蓬莱、信夫の両発電所は同時に作られたわけですが、その際、福島駅〜松川駅間に臨時駅を設置して建設資材の積み下ろしをしたんだそうです。
それが側線程度のと、阿武隈川まで伸びていたのと2つの資料があって確定できないでいます。
その臨時駅がやがて南福島駅になったみたいです。
Posted by TUKA at 2011年02月26日 19:06
うひゃ! マジぃ〜! 
うっかりtuka大先達の領域に足を踏み入れてしまいました。
このネタ、何か書くのをためらったのはこのせい・・笑?

南福島駅は随分半端な所にあるな、とは思っていました。
日東紡績の関連かなと考えていましたが、蓬莱、信夫発電所が
そうであるとは思いもしませんでしたね。

当たり前に電気を使ってますので、近くの発電所などに
ほとんど関心もありません。自分が使っている電気が何処から
どうやって発電されたものなのか、知ることが出来るならば、
知りたいものですね。

Posted by 散人 at 2011年02月27日 01:28
飯野ダムへは今は亡き川俣線・飯野駅から工事用道路を開削して資材を運んだんだそうです。
信夫発電所への細道は旧富岡街道とのことで突入しましたが、途中で対向車に出会って延々とバック・・・。
心が折れてしまい、予定していた蓬莱には行きませんでしたが、こんな展示物があるなら行ってみたかったです。
信夫は過去に釣り人に荒らされたことから警備が厳重なのです。
Posted by TUKA at 2011年02月27日 18:28
小生の出た高校にボート部があって、立子山へ練習に行ってました。かねてより、是非見に行きたいと思っていた場所なんですが、自転車でないとダメかな〜。
Posted by 散人 at 2011年02月28日 05:46
確かにこの付近には漕艇場があったらしく、古い航空写真には建物も写っているのですが、私が行った時には何も残っておらず、広場があるだけになってました。
もしこれがお探しのものであるとすれば北側から蓬莱発電所に行く途中ですので、気付かずに通り過ぎてるかも知れません。
Posted by TUKA at 2011年02月28日 19:37
と、言うことは今は漕艇場としてまったく使われていないということですね。道理で何かこの付近ではボート部とか、漕艇という言葉なんて聞かないなーと思っていました。きっとボート部は潰れてしまったんでしょうね。ザンネン。
では、そのうちに機会があったら、つわもの共の夢の跡でも見てきましょうか。
Posted by 散人 at 2011年03月01日 00:26
私、約40年前は福商漕艇部員でした。はい。

鎌田から立子山まで、毎日自転車で行きました。当時福高、福商、農蚕高校、医大の漕艇部が練習してました。

艇庫まではR114の発電所入り口からでなく、もっと手前の川沿いの細道、がけから川を見ながら通いました。

艇庫の他に別棟の管理小屋もありました。
Posted by ヒゲと鋏 at 2011年03月03日 11:59
ヒゲと鋏さん初めまして、TUKAと申します。
> もっと手前の川沿いの細道、
> がけから川を見ながら通いました。
とうことは信夫発電所の中を通っていたのでしょうか。
発電所から南は崖を削っただけの荒れた道で、アップダウン多くて見通しの悪い細道でした。
去年歩いてみましたが、あそこを自転車で通っていたとは驚きました。
Posted by TUKA at 2011年03月03日 18:31
すみませんがいまごろになって記事をみつけました。高校まで福島で今も兄弟の多くは市民です。40年前は福高ボート部で3年間通いましたが、よその高校に比べて弱かったのでした。(万年県4位よくて3位)自分は114号の三井住建道路?あたりから下の小さな川沿いに急な小道を降りましたので発電所のほうからは歩いていません。歩けたんですか?? 思い出しますが高校のころはトレーニングの名目で椿山の裏の洋館に忍び込んだり、信夫山の中腹にあった中島飛行機のゼロ戦エンジン工場の巨大洞窟なんかに忍んだりしました。あぶないことしてました。
蓬莱岩の写真いいですね、行ってみようと思います。あと艇庫があった場所も前方に見える崖は景色はかわっていないのでたずねてみようと思います。
Posted by 信夫山直登 at 2016年02月02日 10:54
ようこそおいでくださいました。
小生は23回生ですので、五年ほど後輩になられますかね?
高校時代、弁当持って、ついでに午後の1時限目の授業もさぼって、お花見に信夫山に登りました。
竪穴なんかあちこちにあったような気がしてましたが、例の工場跡にも潜り込めたとは知りませんでした。
関心が無いというのは、今思えば、もったいないことをしたものです。
蓬莱岩ですが、現物を見たことがある福島市民は少ないと思いますよ。小生でさえ、10年ほど前でしょうか。
是非、ごらんになってください。

Posted by 散人 at 2016年02月03日 08:56
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