2011年11月08日

大滝は大滝宿と言って良いのか?

福島市から13号線を山形方面へと向かい、福島県側の最後の集落跡が大滝である。
正式には福島市飯坂町中野字大滝となる。

福島市民に大滝のことを説明するのには「大滝宿」と言う方が分かりやすい。
小生など何の考えも無く多用するのだが、はたと気づいた。
ここ何年か、大滝出身の方々と交流が増えたのだが、その方々は「大滝宿」とは
決して言っていないのだ。
大滝出身の方は単に「大滝」もしくは「大滝集落」とその故郷を呼ぶ。


大滝は万世大路の開削と共に明治初期に開拓された集落であり、確かに当時は
旅人宿や運送業が主要な産業であった時代はある。
が、奥州街道○○宿といった江戸時代から続く宿場町ではない。

ootaki3.jpg

どうも、廃村以後に観光業者の建てたこの看板(近年まであって、13号線を通ると
いやでも目に付いた)に江戸時代からの宿場町と刷り込まれたのではないだろうか。


ともあれ、大滝集落のあらましの地図は「わが大滝の記録」さんに詳しく、何回も現地に
お邪魔もしているのだが、小生の頭の中でイマイチ位置関係がきちんと整理されて
おらず、こんな動画を作ってみた。



この動画を作った時は、大滝宿と言っていて何の疑いも持たなかったので、タイトルも
大滝宿となっている。
posted by 山口屋散人 at 08:48| Comment(10) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山口屋さん、どうもです。
私を含めて大滝集落出身の大多数は大滝宿と呼称されることに違和感(嫌悪感?)を持っていると思います。
その理由は大滝宿は明治から大正、昭和初期の旅人旅籠として栄えたころの大滝宿ではなく、昭和54年に大滝集落が廃村後に、観光利潤目的に大滝出身者の気持ちを逆なでするかのようなケバケバシイ看板と芝居小屋等の建物を造り、その事業がとん挫後も建物や看板を撤去せず放置し、私たちの郷土を汚した観光目的の『大滝宿』が真っ先に脳裏に浮かんでしまうためです。

 観光目的の大滝宿が無かったら、おそらく『大滝宿』と呼ばれることに抵抗はなく、逆に明治から100年続いた郷土の誇りある名前と思えたはずで、観光目的の『大滝宿』の開発を我々の父母達が許してしまったことが残念で仕方が有りません。

ちょっと熱くなってしまいましたが大滝出身者としてページを拝借して語らせていただきました。

相済みませんです。
Posted by 紺野 文英 at 2011年11月08日 13:50
 言葉足らずでしたので若干捕捉させていただきます。
大滝出身者以外の方が『大滝宿』と呼ぶことに関しては特に不快感は有りませんが、違和感は残ります。
また、観光目的の『大滝宿』開発業者に先祖伝来の土地や母屋を売却した元住民にも大滝から何の収入の目途もないまま福島近郊に移住するための当面の資金となったのも事実であり、なぜ土地を売却したかとか責める思いは無く、ただ残念な気持ちだけが残っていることを追記しおきます。
Posted by 紺野 文英 at 2011年11月08日 20:32
紺野さん、コメントありがとうございます。
きっと紺野さんがコメントを書いてくれるだろうなと思っていました。
何とな〜く感じていて、少々聞き難い事が理解できて、すっきりとしたような気分でいます。
観光業者が大滝宿として売り出した頃は新聞記事等で読んだ覚えはあるのですが、自分自身の境遇がそれどころでなく、初めて大滝を訪ねた時はその残骸が残るだけでした。
その時、芝居小屋?の向かい側に日本タンポポを見つけた女房が歓声を上げたのが記憶に残っているだけです。
それから何年(20年位かな?)も過ぎて、こうして大滝の方々と交流を持つことが出来るなど、想像だに出来ませんでした。
こうして紺野さんともネットで通じる世界を感謝しなければならないと思いつつこれを書いています。
Posted by 散人 at 2011年11月09日 00:44
芝居小屋が営業していた当時の大滝宿を見ましたが、それも今となっては貴重な経験のようですね。

4年前に紺野さんのサイトにあった資料を参考にこんなものを作っていたことを思い出しました。
http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/yori/otk.htm
大滝の大体の規模と位置関係を把握するため自分用に作ったもので、
いま見ると長老沢と大滝の境界など、間違いもありますね。
Posted by TUKA at 2011年11月09日 19:28
takuさん、おばんです。
大滝に興味を持っていただきありがとうございます。
TAKUさん作成の大滝地図は概ね正解です、大滝と長老沢の境界もこれでいいと思います。
大滝の住居は元住人が離村するとその家を購入して別の家族が住み着くといううようなことが頻繁に行われており、HPに掲載されている昭和10年と昭和51年の間には相当数の住居者の入れ替わりが有ります。
ちなみに柾木家の隣には昭和25年頃は現大滝会会長の木村さんの家族が住んでいました。
また、笹木家の後には三坂さんが移り住みさらに後年には木炭組合事務所のあとに移住しています。
また木村作衛門宅跡には油井武家が引っ越してきています。
これを機会に、昭和30年代の大滝住居地図でも作成してみようかと思います。
今後とも大滝をかわいがってください。

Posted by 紺野 文英 at 2011年11月09日 22:04
さっそく作ってみました。
http://ootaki.xsrv.jp/S30ootakijyuukyo.html
Posted by 紺野 at 2011年11月10日 15:27
TAKUさんの捕捉です。
いら沢橋と胡桃橋間は大滝でも長老沢でもどっちに含めても通用していました。(一般的には胡桃橋が境界とされているが距離的には長老沢寄り)
ただ、いら沢橋と胡桃橋間の家は渡辺家は間違いで二階堂家です(ただし昭和50年頃は渡辺広一氏が購入して済んだので、全くの間違いではありません)…ややこしいですね。(^_-)
Posted by 紺野 at 2011年11月10日 16:27
tukaさん、いやいやすっかり「寄り道Web」を再度読みなおしてしまいました。あらためてtuka大先達の考察の確かさにに恐れ入り奉りました。

紺野さん、ご苦労さまでした。でもまた貴重な資料が増えましたね。誰かやらないと後世に残りませんしね。
Posted by 散人 at 2011年11月10日 21:51
地図拝見しました。
メールも届いております。先ほど返信致しました。

> 一般的には胡桃橋が境界とされているが距離的には長老沢寄り
つまり、境界は胡桃橋。
よって渡辺家(二階堂家)は大滝に本来属するが、
コミュニティとしては距離的に近い長老沢に属していた、
と言った感じでしょうか。

> 大先達
これが「褒め殺し」というヤツでしょうか。
ここに書き込むのも命懸けですな・・・。
Posted by TUKA at 2011年11月11日 00:58
TAKさんのご意見の通りです。
>>コミュニティとしては距離的に近い長老沢に属していた>>
それに加え元二階堂家に移り住んだ渡辺広一家は大滝から長老沢の各空き家を転々と移住したことも不確定になった要因です。
Posted by 紺野 at 2011年11月11日 07:47
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