明治と年号が変わる歳に、此処が北緯38度であるという石柱碑を建て、ついでに
日時計にしてしまった板垣という地元学者がいる。
よく写真では御目文字しているのだが、現物は見たことが無い。
その碑がある福島市鎌田舟戸の諏訪神社を調べてみると、なんと4号線のすぐ脇にある。
八反田川に掛かる橋のたもとで子育て地蔵という看板が目立つ場所だった。
ここは地蔵堂だとばかり思っていたが、実は神社が家主でお地蔵さんが店子。





ちなみに正確に北緯38度はどの辺かというと白石駅のあたりである。
地球規模や時代からすると約30Kの違いは微差というべきなのか。
次いで、阿武隈川を渡り、岡部の愛宕神社へと向かう。
ここはこの間通った時に見つけていた。
ただ道が狭いわりに交通量が多く、うっかりしておれない所だ。
周囲に駐車するような所はなさそうなので、神社のすぐ脇の道を突っ込んでみたら
裏に集会所のスペースがあり、そこに停められた。



阿武隈川の氾濫に備えて、避難場所として築いたものだそうだが、思ったより小さい。
そしてあまり高くない。数メートルの規模に見える。
今年は巨大津波の映像を見たせいかもしれないが、川の氾濫などには十分なのかも。
しかし、これを築いたのは古川善兵衛とのことであるが、善兵衛は前年に死んでいる。
すると善兵衛の後任の代官の事績となろうものだが、はて後任って誰だっけ?
名工の山口村、藤原右源次の手になるものとのことであるが、ちょっとそれはない。

もちづり観音の多宝塔を作ったような工人が、こんなものを作るはずがない。

周囲に銀杏の樹があるらしく、実を踏み潰して歩かねばならない。
例年であったら、こんなことはないであろう。
今年は採取する人がいないのだ。
東京電力の罪は重い。