掛け軸を替えることにした。
揮毫はおよそ150年前の大阪の儒学者で篠崎小竹という人。
頼山陽が広島から出てきて、まずこの人の世話になったそうで
けっこう大阪ではいっぱい弟子をもっていたそうな。
実はハンドルネームをどうしようか悩んでいる時に、ちょうど
この掛け軸を掛けており、「おおっ、これでいいじゃん!」
となった次第なのである。
ちなみにハンドルネームの変遷は
土ザ衛門 → 山口屋面毒斎 → 山口屋散人
さらにつけ加えるとこの掛け軸、丁度来店のF高の国語教師で
あった元校長先生に読んでくれるように頼んだら、読めんかった。
前の話で遅ればせながら、
西根堰の件ですが…・・
私も某国の中・近世史を勉強していて似たような事件を見つけました。
今では某国の北側の地域ですが,
水利の悪い地域で川に堰を作って大規模灌漑を実現した役人が、
中央の政変の結果、
無益に人民を使役したという罪で左遷され処刑?の憂き身に合い、
開拓された土地は中央の王家とつるんだ勢力家の下に入った、
と記憶しています。
1600年代初期のことです。