2012年07月23日

荒井のあたりをウロウロ

福島市荒井に「郷倉」というものが残っていると聞いて見物に出た。

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郷倉「ごうくら」と云うのが正しいのだが、荒井ではゴウソ、又はゴウグラと
なまって呼ばれていたとのこと。
高床式で湿気を防ぎ、二重張りの板壁でねずみの害から守る。
何を守るのかというと、飢饉、大凶作、大不作に備えて保管してある種モミ。
種モミ備蓄倉庫なのである。
昭和9年に東北地方に5200倉、福島県内に既設を合わせて856倉も整備された。
しかし、農業技術の進歩と河川の改良等による水害の減少などで存在意義を失い
市内に残るのは、確かここだけ。
案内板も何も無かったが、事前に写真を見ていたので特定可能だった。

次は
「国外渡航記念燈」
どうも違和感があるネーミングだ。
現代風に言えば「海外移住記念」だろうし、これだけ大きければ燈篭の燈ではなく
塔の字だろう。しかし形を見れば燈篭のでかい物に間違いない。
当時、失礼ながら食い詰めて故郷を追われ海を渡った人々は、自らのことを国外渡航
したなどと言ったとは思えない。

八幡神社の境内にあるとあり、広い境内の一画にあると勝手に想像していた。
だが、びっくりするくらい小さく狭い境内で、不似合いな大モニュメントだった。
海外で成功した人達が、故郷でドカンと一発花火を揚げたかったのだろうか。

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その次は「下村の宿」
福島市には江戸期に本藩であったのが、二つある。
板倉三万石と下村一万石である。
下村一万石の初代はあの田沼意次の孫である。
佐倉下の辺りに7000石相当の領地を持ち1787〜1823までこの地を支配する。
この下村の宿は、松川、大森、庭坂、李平と続く米沢街道のなかにあり、大森と
庭坂の間の宿であった。

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現在はこの一画だけ道が残っているものの、残念ながら北側も南側もちょんぎれている。
この道の西側に紫内という地があり、そこら辺が下村藩陣屋跡であるはずなのだが、
目印となる小さな稲荷神社を見つけられなかった。
通りがかりの地元の方に聞いたが、知らないとのこと。
おばちゃんだったのが拙かったか。
posted by 山口屋散人 at 17:55| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 下村藩陣屋跡の稲荷神社
クルマを止めた集会所西側の畑の中を、東西に水路が流れています。
その水路に沿って畑の中を西へ進むと、ぽつんと神社がありますよ。
陣屋の広さが伺えます。
特に説明板などないので、地元の方でも由来まではご存じないのかも知れません。
http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/ita/ita11.htm
Posted by TUKA at 2012年07月23日 19:12
実はここは予定外の訪問だったので、準備が足りませんでした。
行けばなんとかなると思ったのですがね。
もう一度TUKAさんのレポを読んでいくべきでした。
しかし、行く道が無いというのも凄い稲荷神社ですね。
所有者以外に祭る人がいない神社になっているのですね、きっと。
Posted by 散人 at 2012年07月24日 18:25
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