2012年09月07日

松川事件との関わり

今年の4月に単なる思い付きで「松川事件」の現場へと行き、慰霊碑等の施設物を
見て回ってきた。
地元にいながら、この全国的にも有名な事件にあまり関心は無かった。
事実認定に関わる資料の膨大さを聞いただけで、頭だけでも突っ込みたくなかったのだ。
ただ、現場には行ってみたいとだけは思っていた。
起訴された20名の人たちは全員無罪を勝ち取ったが、犯人は最低でも数名存在する。
その現場に立ってみたい、それだけだった。

P4221735.JPG

近所に「物知り」で知られた御老体がいる。
その御老体に事件の現場まで行ってきたことを話題にしたら、意外な事実を聞かされた。
小生の所属した消防団の前分団長の奥さんが、事件で死亡した機関士の遺児だというのだ。
だから毎年8月には事件現場の慰霊碑までお参りに行くという。
そしてもう一つ、途中で証言を変えた木村証人という人がいるが、何と知っている人だった。
この方は昨年お亡くなりになったが、お店にも来てくれていた。
御老体はこの木村証人を「素晴らしく度胸の良い漢だった」と表現した。

彼は松本清張の「日本の黒い霧」にも登場する。
そして、広津和郎の講演録の中では「奇怪な人物なのです」などと表されている。
小生としては、多少人を喰っているところがある人だが、面白い人だな、と思っていた。

DSCF2677.jpg DSCF2679.jpg

事件とは全く無縁だと思っていたのだが、関係する人達が身近にいたのに驚かされる。
そういえば、亡き父から叔父が取り調べを受けたと聞いたことがある。
叔父の家の本棚には資本論と共産党宣言がセンターに鎮座していた。
どのくらい活動していたのか知らないが、抑圧の対象だったのだろう。
その叔父も今年で85歳になる。
松川事件の発生から今年で63年の月日が流れた。

posted by 山口屋散人 at 17:45| Comment(5) | もろもろのこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の父は、昭和19年まで当時東芝本社のあった川崎工場(堀川町工場)に勤務して労組に関わっていたらしく、『あのまま東芝にいたら逮捕されていたかもしんねな』と言っていたのを思い出しました。
事件が起きたS24年には既に退社して新潟に疎開していたようです。
『東芝労働組合が共産党と関係があったなんて知らね』とも言ってました。
蛇足ですが、S24年は新潟で私が生まれた年でもあります。
S26年には故郷の大滝に家族で帰ったようです。母にとってはここからが苦労の始まりだったようですが、、、。
ちなみに大滝で生まれたのは末っ子の弟だけです。
Posted by 紺野 at 2012年09月09日 22:03
あらら親子二代にわたっての東芝社員だったのですね。
わが家は近所の電気屋さんの影響かテレビはビクター、それ以外の白物家電などは皆んな東芝でした。
今でも東京芝浦電気株式会社とあるダンボールに入った古〜い扇風機があり、捨てるに捨てられないでいます。
Posted by 散人 at 2012年09月10日 16:33
山口屋さん東芝製品ご愛用ありがとうございます。
 亡父は東芝時代は砲弾・銃弾などの製造と、工場動力源として工場内で炭焼きもしたようです。
どうも炭焼きの方の仕事が比率が高かったようで、炭焼き経験者の父は重宝されたようです。・・・現に赤紙も来なかったようです。
Posted by 紺野 at 2012年09月11日 01:13
主題から逸れますが・・・
うちの講堂の舞台照明調光機は昭和39年東京芝浦電気製です。
まもなく50歳でしょっちゅう不具合を起こすのですが、東芝のエンジニアが来る度に頭を抱えています。
部品すら無いようです。

校舎のHf蛍光灯は安定器を含め全て東芝ライテックで統一してます。
NECと比較しても相性が出にくく、点灯寿命も長いです。
東芝ブランドでSDカード類も出回ってますが、頑張って欲しい企業の一つです。
Posted by おばら at 2012年09月11日 01:41
おばらさんも東芝製品ご愛玩ありがとうございます。

山口屋さん、同じような投稿が2つになってしまいました、削除お願いいたします。
Posted by 紺野 at 2012年09月11日 06:12
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