2013年02月04日

二本松市の切り通し坂


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この「切り通し坂」についてはTUKAさんの「池ノ入切通し」に詳しい。

ここに登場する「豊潤水」という水飲み場を見たくなって、出かけてきた。

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何でも「村越のおじさん」と呼ばれる料理名人が大正半ばに私財を投じてこれを造った。
これが大いに役立ったらしく馬車屋組合が小父さんの顕彰碑を建てその徳を慕った。

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さらに時代が下がり昭和6年の夏、通りかかった当時の小柳牧衛知事が、この水で
のどを潤した。
ふと見ると馬車屋組合が建てた顕彰碑が目に入った。
この話に感動した知事は、すぐさま筆をとり「道行く人つつがなきや」と揮毫した。

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と云った三題ばなしみたいなもんなのだが、この鬼県令三島が作らせた道にまつわる物語を
寒い中、てこてこと歩いてきた。

posted by 山口屋散人 at 08:25| Comment(9) | ちょいTrip | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご紹介ありがとう御座います。
これらの石碑って相互に関係があったんですね。
「道ばたの文化財」によると、かつて「修陸羽道之記」があった場所に「道行く人」の碑が建てられたんだそうです。

今回山口屋さんのブログを拝見し、改めて検索してみたところ、
「修陸羽道之記」の一部が今も現地に残されているようです。
当時、私も一応探したのですが見つけることができず、
移設されたのだと思ってました。
また行かねばなりません(苦笑)
Posted by TUKA at 2013年02月04日 23:41
「修陸羽道之記」の右下半分のような物がありましたね。
これってTUKA さんが玄関前に放置されていると言っていた物のかたわれかと思って見ました。
なぜに接着修理しないんでしょうね。
あと、「道行く人」の側に大黒様みたいなものがあって、
そちらに気をとられ、肝心の「道行く人」に気づかず
通り過ぎてしまったという失態を演じました。
あれって、何なんでしょうね。
Posted by 散人 at 2013年02月05日 08:20
 万世大路の次は陸羽街道と決めています。しかし、万世大路がなかなか奥深く終わりません。陸羽街道では、最初に行きたいと思っているのが、二本松のこの観音山の掘割です。散人さんが手に入れられた『福島県直轄国道改修史』に「修陸羽道記」について記載されております(123頁)。岩盤に記された碑文は爆破されてないそうですが、近くの小学校の校庭にに破片があるらしい。是非見てみたいものです。
 半世紀前になるけれども、旧4号国道としてパトロールしていたところで(当時杉田までが福島の管轄)、デラックスな掘割が強く印象に残っています。今度行くときにはご一緒させて下さい。
Posted by 黒パン党 at 2013年02月05日 10:24
なるほど、123頁にありましたね。
まったく気が付きませんでした。
近くの小学校の校庭云々にあるという「修陸羽道記」の破片ですが、現場に戻ったようですよ。
この画像をご覧下さい。
http://box.c.yimg.jp/res/box-s-ymn2llgq4wq4ba6vsvws2n5m2u-1001?uid=7ca183e9-9389-403c-b76c-538544fa46e5&etag=6d437e9e13598843806417506
碑文の内容と一致しますので、これだと思います。
Posted by 散人 at 2013年02月05日 17:03
了解しました。ありがとうございます。
機会を作って是非見に行きたいと思います。
Posted by 黒パン党 at 2013年02月05日 21:13
私は以下のブログを参考にしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/sakenomube/19224446.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sakenomube/19371631.html

接着修理しないのは「価値がない」からのようです。
どうも城下町と言うのは江戸期は重視しても、近代を軽視する傾向があるような気がしてます。
二本松もしかりなのでしょうか。

また上記のブログによりますと、小学校に移設された破片と、現地にある破片は別物のように思います。
今もまだ小学校にあればいいのですが、この冷遇ぶりを見ると不安になります。
わざわざ小学校に移設展示すると言う、この欠片に価値を見出した方が、過去にはいたはずなんですがねえ・・・。
Posted by TUKA at 2013年02月06日 03:37
TUKAさん情報ありがとうございます。
(ご高名は、かねて文英さんからお伺いしてます)
碑破片に対する仕打ち、憤りを感じます。野ざらしとは何事か。
例の崩落した信夫橋の擬宝珠でさえも、ふれあい歴史館に丁寧に展示されていますね(三島通庸県令(栃木)、柴山景綱信夫郡長、村上楯朝大書記官、中山高明土木課長等々福島では悪名高き人達も)。
Posted by 黒パン党 at 2013年02月06日 11:06
TUKAさんは「池ノ入切通し」と表し、国土交通省OBの黒パン党さんは「観音山の掘割」と言っています。
小生は
http://yamagutiya.seesaa.net/article/275074741.htmlこの本から、「切り通し坂」と表しています。
呼び名が色々あるのか、無いのか、不思議なもんです。

二本松は会津藩ほどでなくとも、戊辰戦争で被害を出していますから、薩藩の三島など、とんでもない男だと思っていることでしょうね。近代遺産に冷たいのはそのせいかも知れませんね。
Posted by 散人 at 2013年02月06日 15:30
黒パン党さん
盗難や破損を防ぐ意味でも、せめて屋根がありカギの掛かる倉庫程度には入れて欲しいものです。
信夫橋の擬宝珠も、私が見つけた時は公民館の片隅でホコリを被り、真新しいキズも散見されるような状況でした。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3918116.jpg

散人さん
県内で三島の名が刻まれた碑文を見ることはなかなかないですね。
会津の札ノ辻には三方道路の完成記念碑がありましたが、
青銅製だったために戦時供出されて現存しません。
台座だけは七日町駅前にあります。
Posted by TUKA at 2013年02月06日 19:57
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