2007年03月18日

立子山の疣石峠へ

現在の地図上では地形図でもこの「疣石峠」という地名を探し
だすのは出来ないのではないだろうか。
しかし確かに存在するし、新道が出来るまではこの道が「福島
街道」と呼ばれ川俣と福島を結ぶ重要な道であった。

暴れん坊将軍?徳川吉宗の時代にこの地は天領であったが
代官の圧政に苦しみ、叛旗を翻した百姓一揆の指導者二名が
この峠で処刑され晒し首とされたそうである。
福島という地にあっては「晒し首」とは穏やかではない。
義民二人の顕彰碑が建っているというこの峠がどのような
峠であったのか、その地を踏んでみたかった。

DSCF1396.jpg

いつもながら立子山は分かり難い土地である。
地元で作業する人に、この道の先だと教えてもらう。

DSCF1398.jpg

目印の消防団の屯所があった。小さいながらも案内板もある。
車の轍があるが、近くに車を置き、歩くことにする。

DSCF1400.jpg

何か万世大路に似たような道になってきた。
結構勾配がきつく、呼吸が荒くなってきた。

DSCF1403.jpg

峠に到着。
また山神様がおいでなさった。
今年の初詣は二つ小屋隧道脇の山神様であったせいか
行く所行く所でぶつかる。
ちなみに山神様は女の神様だそうで、しかも醜女だそうだ。
(今年の小生にはブスの女神がついて廻るらしい)

DSCF1404.jpg

DSCF1405.jpg

比較的新しい顕彰碑と由来書きがあった。

道は文字通りこの峠を境にして下りとなる。
現在では荷駄車が通れるような幅はない。
歩く人など希であろうという道だが、どのような風情なのか
次回のお楽しみにとっておくことにする。

56404400kirinukiーA-1.JPG

posted by 山口屋散人 at 20:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
と言う事は、鮎滝の渡しと同一線上となりましょうか。
そう思うと感慨深いものがありますね。
Posted by TUKA at 2007年03月18日 21:34
この近く(半径1K圏内)に道標があるはずなんで、TUKAさん、ついでの時にお願いしますよ。
小生はそういうの探すの得意でないんで・・
Posted by 散人 at 2007年03月19日 05:56
> この近く(半径1K圏内)に道標があるはず

随分と大雑把な情報、ありがとうございます(笑
近所の寺社や公民館に移設されたりしてなければ
旧道沿いにあると思いますので探してみます。

石ころや切り株まで道標に見えてしまう病患者より。
Posted by TUKA at 2007年03月19日 21:22
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