雲海を見られただけでもラッキーだったが、さてこれからどこに行こうか。
道の駅の開店した店から案内地図をもらってきて、考える。
一番近い観音沼森林公園にとりあえず行ってみることに。



ここもキノコの多い沼地だ。つい気になってパチリ。



ここから3キロほど奥に「日暮の滝」というのもあるらしいので、行って見る。



帰りがけ、滝までに至る途中に案内板があったのをじっくりと読むことにした。
先ほども車を止めて一応読んだのだが、辺りを見回しても石碑は見当たらなかった。

「つづら折りの坂を登りきり、下る坂を奥州駒返坂と呼んでいた」とある。
「旧道は現道よりも東側に位置している」とあるが、東側の山側を見ても、道など
なさそうだし、悪いことに谷側にはっきりとした道が続いている。
「登りきり下る坂を」の表記から、さてはこの道を下った所にあるのかと判断。
5分ほど下ったが、何も無さそうで何かの作業道と思わざるをえなかった。
戻って、もう一度案内板を読む。
一番下の矢印がどこを指しているのか、右から見、左から見した。
山側をじっくり観察すると、道の痕跡はないが石碑らしいものが目に入った。
国語のテストをされているようで時間を食ったのは、小生の国語力の問題か。


田島町から舟鼻峠を抜けて、トンネル内の交差点を久しぶりに・・と思ったのだが、無い。
新しいトンネルを通ったらしい。ともあれ昭和村の「からむしの里」へ。



10年前の消防団の旅行の時は買わなかったので、玉梨とうふを購入。
ダイハツミゼットはまだ有った。


道の駅かねやまに寄って休憩。
前回、日差しの関係でうまく写らなかった慰霊顕彰碑を撮影。
郵便配達で殉職された方々の慰霊碑だ。
明治39年から平成6年までで13名が犠牲となっている。
いかに雪が深く厳しい冬であるかという悲しい証明である。

帰りに磐梯町の道の駅で、初めてこういうのを見つけた。


時代は徐々に「じぇじぇ!」
私は藪が薄い時期に行ったので石碑はすぐに見つかりましたが、
それでもその前を通る旧街道は痕跡薄めでした。
会津中街道は一里塚の残存率が高いのですが、廻られましたでしょうか。
かく言う私は杉ノ沢の一里塚ひとつしか発見できてないのですが(苦笑)
現在は藪が刈り払われ、案内板が設置されたりと整備が進んでいるようです。
日暮れの滝からさらに奥に行くと、戊辰戦争の塹壕跡があるらしいですが、歩いてでも機会があれば行ってみたいですね。
私も何も見てないのです。
ただ峠の地蔵さんとニッコウキスゲの群落だけを見て帰りました。