昭和62年のことだから、今から18年も前のことになる。
小生の唯一の国外経験である中国へ飛び立ったことである。
なんのことはない。
蕎麦屋の全国組織の大会が北京で開かれたのだ。
日本から千人を越える蕎麦屋が中国へ渡った。
小生は最短の北京三泊四日のコースだった。
万里の長城を見に行ったのである。(大会などどうでもよいのだ)
長城を見たので、こんどは北京の街中を歩いてみたかったが、
観光名所だけを点と線で結んだコースが設定されているだけで、
何故か自由な時間が持てなかった。(当時としては当然か?)
そこで茨城県の蕎麦屋さんと二人で脱走した。
(お陰で明の十三陵は見損なった)
西単といわれる繁華街を歩いた。(六月の北京晴天)
喉が渇くとアイスキャンデーを買ってしのいだ。
財布を開いてアイスを買うと、「全部買ってくれ」と言う。
小生の財布には日本円にして5万円分の兌換紙幣が入っていた。
その当時の中国国民の年間所得に匹敵したのだから、
そう言いたくなるのかも知れない。
福島市からは6〜7人参加したのだが、他の人達は
さらに二日ほど長いコースで、上海や、桂林にまで行った。
ついでだから無理して、小生も行けばよかった。

最近、小生のこのブログにコメントをいただく寅次郎のパパさんは
上海で常駐、仕事をなさっておられる。(福島市出身だそうだ)
行きそびれた上海の風景が見られるのがうれしい限りだ。
(寅パパさん、画像パクリました)
寅次郎には悪いけど、
今後もより多くの現地画像を掲載します(悩)。
私が留学していた時(1986〜93)に、しかも初めての海外渡航で訪中されたのですね。チョッピリ感動。
懐かしいです兌換券。よく闇市場で人民元(不換紙幣)と交換したものです。
それだけ多くの兌換券をお持ちなら、
「アイスを箱ごと買ってケロ?」と言われるのも無理はないですね。だって闇に行けば更に利益は膨らむわけですから(笑)。
是非上海にもお越しください。熱烈歓迎です。
それじゃ、小生が行った時は、同じ北京の空の下だったわけですね。
あの頃はエアコンも無く、
タクシーも少なく、日本料理屋も少なかったなぁ。
東欧から流れてきた古いベンツとラバの荷馬車が、
赤信号で並んで信号待ちしてましたからね。
我慢を覚えた時代でした(笑)。
国際電話は長距離電話局かホテルでかけたし、
遊ぶ場所も少なかったっけ。
北京飯店の「カラオケ北京」、
居酒屋「祭り太鼓」、
日本料理「白雲」、
だれも覚えていないでしょうねぇ。