2013年10月06日

江戸期の絵図資料展

DSCF3164.jpg

ある方のブログで学芸員さんが解説をしてくれるとの情報を得た。
何かあると大概土曜日で日曜日というのは珍しい。
雨の日曜日で山にも行けないので、出かけてみる。

DSCF3165.jpg
(参加者は10名、多分小生が一番年下か。)

絵図というのは要するに地図のことで、描かれているのはその目的によって違う。
道や川が主体であったり、隣地との境界線であったり、管轄の村の配置であったりする。

そういうもんかいと感心したのは、案外と漢字の間違いを気にしないこと。
例えば、ある絵図には伊達政宗の祖父の墓地がある宝積寺を宝釈寺と書いてある。
音が合っていれば良いだろうという書き方で、古文書でも結構あるというのだ。
だから奥州海道なんて平気で書いてある文書もあるとか。
江戸期の人はおおらかと言うかいい加減と言うか、何か隣国の大国・・ポイ感じ。

posted by 山口屋散人 at 19:26| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
理由はわかりませんが、確かに古文書には、同じ音の漢字を当て字にしている例が結構ありますね。海道については、平野地区に海道北、海道南、海道端、海道下という字名があり、道路(昔の街道?)に接しています。
絵図も、その多くが南が上になっており、福島県歴史資料館所蔵の地租改正後の地籍図も南が上になっています。地図が北が上になるのは、明治半ば以降のようです。
なお、市内の絵図については、福島市の文化財(福島市文化財調査報告書第39集福島の村絵図T)が大変参考になります。
Posted by MASA at 2013年10月08日 07:39
MASAさん、情報ありがとうございます。
MASAさんは他の方のブログに入れたコメントなどを読ませていただきますと、もうプロの領域の方ですねw。

よく町内の案内図など辻にたっていますけど、現実の右側が地図上では左側ということがよくあります。左右を、もしくは天地を180度回転させないと判り難く、不適切なものをよく見かけます。
昔の絵図が南を上にして描いたのは、太陽光を明かりとして利用したからでは、と考えています。南側の障子戸を開けて光を入れ、絵図を広げた場合、北が上では頭の中でひっくり返さなければなりません。創造力が欠損している小生のような頭では、ちょっと待って、え〜と・・なんてばかりでは仕事が進みませんものね。
Posted by 散人 at 2013年10月08日 18:36
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