2014年01月06日

月舘町 下手渡藩の侍墓地

(備忘録として)

昨年末だが、月舘町、耕雲寺の侍墓地に行ってきた。

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下手渡藩一万石立花家の菩提寺である。
ここの立花家の墓はちょっと変わっている。
一段高いところに藩主家の墓が建っており、一段低いところに藩士の墓がある。
主従が向かい合って建っているのである。

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藩士の側から主家の墓を見るとこうなる。

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なぜか写真をとってまわる小生の足に猫がじゃらつく。
お寺の猫だそうだが、人懐こい。
猫をなでるのは三年ぶりくらいだろうか。

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奥から藩主家の墓を見る。
手前の墓は三池藩6代種周(タネチカ)で反松平定信派であったために失脚。
本来の墓地は台東区のお寺でここではない。
次は息子で遥か福岡から左遷されて初代下手渡藩主になった種善(タネヨシ)。
ついで二代種温(タネハル)。初代、二代はこの墓が本当の墓であるようだ。

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そして一段下の藩士側を見る。

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藩士の墓の中に、夫婦の墓があった。

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この平塚庄三郎、サワ夫妻がなぜ同列に名が刻んであるのか分からないが
彼らを主役にして藤沢周平なら一編の物語が書けるだろうな、という気がする。
何となく、他の墓石と違って見える。



posted by 山口屋散人 at 22:46| Comment(3) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
福島にも立花家が有ったんですね。
福岡で立花家といえば名門です。
福岡県柳川市に立花家末裔が健在で、御花という料亭をやっており今でもお殿様と呼ばれています。
こっちの立花家からの分家のようですね。

Posted by 紺野 at 2014年01月14日 06:22
柳川の立花氏とは一族ではあるが、分家、および支藩ではないということみたいですね。こっちの藩のほうが、若年寄とか老中格であるとか出世していますので、それなりに誇り高き藩なんですね。明治維新では江戸にいる殿様が官軍につき、地元の家臣が奥羽越列藩同盟に加盟してというネジレ現象で、怒った仙台藩に焼き討ちされたということです。このお寺も一般の農家というような造りで、よくよく観察しないとお寺とは思えないものでした。維新で焼かれ、その後に再建した建物も火事で失い・・でこんな按配らしいです。
それにしても、福岡の大牟田から船を使ったり歩いたりして引越しをするわけですから、た〜いへ〜ん!!
Posted by 散人 at 2014年01月14日 21:33
柳川藩からの分家ではなく、大牟田からの引っ越しですか。
愚妻の故郷なので尚更そちらの立花家に愛着がわきました。
ご教示 謝々
Posted by 紺野 at 2014年01月15日 12:36
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