大女優が食べに行ったというお店だ。(評価は黙してウ〜ン・・)
ついでにこの近くに世良修蔵の墓があったはずだと、寄ることにした。



二流か三流の勤王の志士だが、歴史の中のターニングポイントに偶然立つことに
よって、福島市と白石市と故郷の周防大島にも墓を持つ身分となった。
福島で斬殺される二三日前に、宿の主人が、「あそこは神域であるから狩りをしては
いけない」という忠告を聞かず、鉄砲を持って信夫山に入ったそうである。
粗暴な男のように思われているが、木戸孝允がこの墓に立ち寄って、しかも灯篭を寄進
しているのは、同じ長州だけの縁なのかどうか。
身分差を考えると、無視しても良いような格差があるのだが。
ところで、福島市の墓は稲荷神社境内の外れにあり、お店から歩いて100秒の距離。
案内板が書き換えられてから何年か経つらしいが、まだ未読である。
明日行って、読んでみんべ。
そういえば白石温麺もしばらく食っていないな。
22日雨が降らないことを祈ります(てるてる坊主)。
去年あたりから、お天道様はちょっとお見限りみたいで・・
そういえば、そんなことがありましたね、程度。
ここの滞在時間は石段の上り下がりを含めて3分でした。
そもそもの目的が温麺で、世良はついで。
現地に赴いて、規模や周囲の環境など雰囲気を知るだけの見学でした。
それよりも、北の関ケ原の時に、政宗がここに陣をしいたというのが、へぇーここか!でしたね。
「北の関ケ原」と言えば、上杉が徳川軍を湿地に導くために急造した偽奥州街道の痕跡が、今でも白河に残っておりました。
蒲生時代にはこれが本道とされたため、残ったようです。
丹羽時代にまた換線されて旧4号ルートになりました。
丹羽さんは二本松でも奥州街道を換線してますなあ(笑)。