2017年10月16日

ついでに世良修蔵の墓に

白石温麺でも食ってくるべと、出掛ける。
大女優が食べに行ったというお店だ。(評価は黙してウ〜ン・・)

ついでにこの近くに世良修蔵の墓があったはずだと、寄ることにした。

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二流か三流の勤王の志士だが、歴史の中のターニングポイントに偶然立つことに
よって、福島市と白石市と故郷の周防大島にも墓を持つ身分となった。
福島で斬殺される二三日前に、宿の主人が、「あそこは神域であるから狩りをしては
いけない」という忠告を聞かず、鉄砲を持って信夫山に入ったそうである。
粗暴な男のように思われているが、木戸孝允がこの墓に立ち寄って、しかも灯篭を寄進
しているのは、同じ長州だけの縁なのかどうか。
身分差を考えると、無視しても良いような格差があるのだが。

ところで、福島市の墓は稲荷神社境内の外れにあり、お店から歩いて100秒の距離。
案内板が書き換えられてから何年か経つらしいが、まだ未読である。
明日行って、読んでみんべ。




posted by 山口屋散人 at 18:26| Comment(5) | ちょいTrip | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 以前撮影しておいた案内板「世良修蔵の官修墳墓」を読み直してみたら白石市陣場山と山口県周防大島町にもお墓があったのですね。案内板を読んでいたはずですが記憶がありませんでした。世良が宿泊していた金澤屋も北町のどこかにあった話しも誰かに聞いた記憶がありますが忘れました。
 そういえば白石温麺もしばらく食っていないな。
 22日雨が降らないことを祈ります(てるてる坊主)。
Posted by 黒パン党 at 2017年10月17日 09:05
何と言っても気になるのは、青年老人混成探検隊?の決行日の天気ですね。
去年あたりから、お天道様はちょっとお見限りみたいで・・


Posted by 散人 at 2017年10月17日 20:28
墓石から削り取られた、という「賊」の字の現状については確認できましたでしょうか?
Posted by TUKA at 2017年10月23日 17:48
「為賊」の話はすっかり忘れておりました。
そういえば、そんなことがありましたね、程度。

ここの滞在時間は石段の上り下がりを含めて3分でした。
そもそもの目的が温麺で、世良はついで。
現地に赴いて、規模や周囲の環境など雰囲気を知るだけの見学でした。

それよりも、北の関ケ原の時に、政宗がここに陣をしいたというのが、へぇーここか!でしたね。
Posted by 散人 at 2017年10月24日 17:41
そうでしたか。
「北の関ケ原」と言えば、上杉が徳川軍を湿地に導くために急造した偽奥州街道の痕跡が、今でも白河に残っておりました。
蒲生時代にはこれが本道とされたため、残ったようです。
丹羽時代にまた換線されて旧4号ルートになりました。
丹羽さんは二本松でも奥州街道を換線してますなあ(笑)。
Posted by TUKA at 2017年10月26日 17:21
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