2017年11月20日

青函トリップから

青森県三沢市の先人記念館は、廣澤安任の記念館と言ってもおかしくない。
開拓は彼一人によるものでもないので、まとめて先人として、敬意を表して
いるのだろう。

その展示物の中で、珍しいものを見た。
廣澤が亡くなった時(明治24年)の香典控えだ。

ssIMG_0507.jpg

IMG_0507.JPG (拡大用)

もう120余年が過ぎているので、誰はばかることはないのだが、こういうものは
めったにお目にはかかれない。

山川浩の香典は断トツ一位の5円。
柴四郎(東海散士)は3円。
大山巌は1円50銭。
下の方に西周の名も確認できる。

山川浩は陸軍少将までなり、現筑波大学、お茶の水女子大の校長などを
やっていた時期であるが、食客が多数おり、終生貧乏をしていたという。
しかしながら、5円。

この時代の1円の価値はどうなのか、学芸員さんに問うてみたのだが、
そんなことを聞くのは、小生が初めてらしく、分からないと言う。

ネットの時代はその気になれば、簡単に調べがつく。
そのまま信用できないのが難点だが、いくつか当たれば、大体わかる。

3800倍にして現在に相当とするものがあるが、ちょっと?
この時代、長崎市での農作業雇の女性の月額は2円前後。
機織りの仕事は月額4円前後という資料がある。
農作業雇というのが、いまいちよく分からないが、機織りは工場勤めと
考えれば良いのかなと思われる。

日本がまだ貧しく、労働者の地位もはるかに低い時代である。
山川が差し出した香典は、現在の10万円を超える価値であったようだ。


posted by 山口屋散人 at 13:06| Comment(2) | もろもろのこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに珍しいですね。
松下村塾の出で、会津攻めの参謀だった品川弥二郎の名も見えます。
Posted by TUKA at 2017年11月20日 13:37
おお、そうでしたね。
品川は、自分の代わりに世良修蔵がやられたと、終生負い目を感じていたみたいですね。

Posted by 散人 at 2017年11月20日 17:57
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