2007年08月26日

連鎖

TUKAさんのお陰で、あまり興味のなかった東根堰に関わり、
高子隧道というものを探す。
そしてすぐ近くの熊坂覇陵という地元の儒学者の墓碑が太田
蜀山人の文であることを知り、その墓に詣でる。
それから熊坂三代の何れかの弟子であった父に教育を受けた
という「菅野八郎」という世直し一揆の指導者とされた人物に行き
当たる。

この人物の存在を知ったのはつい2,3年前である。
この菅野八郎は三省堂の人名事典にも載っているくらいの人で
ただの百姓だけではなく、かの吉田松陰とも入獄中に接触が
あったらしいのである。

世直し八郎大明神と称された人が自分で大石に彫った、自刻
の碑というものがあるらしいのでそれを見に出かけてきた。
刻文は「八老魂留此而祈直」 (なんて読むんだ)

ところが、大体この辺りだということは分かるのだが、案内板
など無い。時刻はちょうどお昼時のため、地元の人の姿もない。
聞けるようなお店もない。
ぐるぐると車で回って、諦めて帰ってきた。要再調査なり。

帰りがけ、この間の宿題(6/10のブログ)を一つ果たす。

福島工業団地内から地下に潜る東根堰の銘板を見てきた。
(日東加工KKのゲートが開いていたので侵入させてもらった)

ssDSCF0838.JPG

けっこう水量が多いのだが、今の時期もたくさん必要とするの
だろうか。

ssDSCF0838 (1).JPG

「信達隧道」と見てみれば割と当たり前の名前だった。
しかし、小生的には信達というと、信夫郡+安達郡である。
ここは安達郡ではない。・・?
信夫郡+伊達郡の意味らしいのだが、そういえば安達郡と伊達郡
とで「両達」郡なんてもいったような気もする。
信達とは信夫郡+安達郡+伊達郡だったのか?

ssDSCF0838 (2).JPG

この銘板の揮毫は福島県知事 君島清吉 とある。
戦前の官選の知事で36代目。
ちなみに三島通庸は5代目。
現、佐藤雄平知事は62代目。

君島知事の在任期間を調べようとしたら、WEBでは無理っぽい。
昭和13年10月10日に厚生省の海軍なんたらから、君島知事あ
てに電報が届いたという記載があるので、その時は、居た。
posted by 山口屋散人 at 17:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 自刻の碑
福島の歴史を調べると必ず出てくるのですが、
写真でしか見たことがありません。
私もそのうちに、と思っていたのですが、
有名な割には冷遇されているようで・・・。

> 信達隧道
なんとも気合いの入った命名ですねw

> 県知事
公選制になったのは戦後なんですね。
で初代知事が石原健太郎の親父さんかあ。

そう言えば、私の両親が小野町に花見に行ったら、
A作さんも来てたそうです。
のんきなモンですねえ。
その桜は先日倒れてしまいましたが・・・。
Posted by TUKA at 2007年08月26日 19:25
この銘板というのか扁額というのかですが、
時代的には万世大路の改良工事と同時期なんですが
きれいなもんでした。
栗子山中より気候変動が過酷でないんでしょうね。
70年を過ぎているとは見えないですよね。
Posted by 散人 at 2007年08月27日 16:38
お久しぶりでございます。
「八老魂留此而祈直」ですが、中国語的に考えますと、「八老魂留此」で一回切れて「八老魂此処に留まり」、後は「而祈直」で「そしてずっと祈る」ではないでしょうか。
「而」は「而且」で中国語では「そして」です。「直」は本来中国語では「(一)直○○」で、「ずっと○○する」と訳せるからです。
寅パパ
Posted by 寅パパ at 2007年08月28日 21:40
寅パパさん、どもです。
漢文の不得意な小生は「直」の意がどうも意味不明でした。
そういう事でしたか。
「ずっと」ね。
しかし、何をずっと祈ったのでしょうね。
八老は八郎のことですし、わざわざ魂を大石に留めると
言っているわけですしね。
又、保原に出かけてとにかく実物を見てきますわ。
Posted by 散人 at 2007年08月29日 00:17
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