2007年11月13日

夜のウォーキングから

店を閉め、ある程度片付けてからウォーキングに出る。
コースは何通りかある。
あるにはあるのだが、この先にもう少し行ってみようか、
という具合に突如としてオプションを加えることもある。

先日は県令三島通庸が名づけたという松齢橋を渡り、右岸の
土手沿いに歩いて天神橋で戻るというコースだった。
が、天神橋を渡らずに、もう少し先まで歩くことにした。

DSCF2160.jpg

ここは歩いたことがない。
何かの管理用道路と書いてあったが、舗装はされている。
しかし、暗い道だ。とても女性は夜には歩けない。

土手沿いのマンションの脇に広場があり、遊具があり
何となく神社のような地蔵堂のような建物があった。
石碑が数個ならんでいるが、何の表示もない。
神のほうなのか佛のほうなのかもわからない。
何かとても無愛想な、とってつけたような建物である。
なんじゃ、こりゃ?

この所、こういうものが気になって仕方がない病気療養中。
自宅に戻ってから古い住宅地図を取り出して調べると
「天神神社」とあった。
おお、ひょっとして「天神橋」の名の元になったのか?
辺りに天神という地名はない。
きっとそうであるに違いない。

さっそく、陽のあるうちに出かけてきた。

DSCF2161.jpg

周辺を見渡しても鳥居は見当たらない。

DSCF2162.jpg

ブランコの後には足尾山、弁財天、庚申塔などの石碑。
天神様とは何の関係も無い。扁額もない。
かろうじて注連縄があるので、神のほうだなと分るのみだ。

DSCF2164.jpg

どう見ても、あまり流行っていそうにない神様のようだ。
しかし、福島県庁のすぐ側の橋にその名を残しているのなら
それはそれで大したもんなのかな、なんて考える。

DSCF2169.jpg

天神橋は昭和39年の9月に竣工したらしい。
東京オリンピックの開会式の前月である。

まだ貸しボート屋さんが営業していた頃、この天神橋と
松齢橋の間がボートを漕いでよい区間だった。
流れの中を天神橋まで漕ぎ登り、松齢橋まで流れに任せると
いう繰り返しで、疲れると右岸の浅瀬に乗り上げて休む。
ボートを漕げない男はカッコ悪いという感じの時代だった。
歩くだびにそんなことを思い出す。
今は福島でボートを漕ぐという経験をするのが難しくなった。
いざとなってボートを漕げるのは中年以上のオジサンだけか。

右斜め下追記

訂正 
>辺りに天神という地名はない。
というのは間違いでした。ここの地名は渡利字天神。


posted by 山口屋散人 at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かつては天神橋のところにも「渡し」があって渡利から一小に通学してくる人たちが羨ましかったものです。貸しボートの営業が無くなった中学生のころは先輩のゴムボートを持ち出し良く遊びました。
Posted by ヒゲとハサミ at 2007年11月14日 09:59
おや、ヒゲとハサミさんの時代にはもう貸しボートは無くなっていましたか。
そうすると小生あたりが最後の世代になるのかなぁ。
「三丁目の夕日」的なのどかな時代だったのかなぁ、と思いますね。
Posted by 散人 at 2007年11月14日 15:56
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