2013年07月16日

ここにも八重

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「福島県の花」は石楠花であるが、詳しくは変異種の八重白山石楠花がそれだ。
1904年(明治36年)に発見された場所(不動沢から家形山への途中)で見たかったが
雨が降ったりやんだりという天気に断念。
とりあえず、スカイラインを登り浄土平へと向かう。

ちょうどお昼時なので、レストハウスの2階のレストランで食事をとる。
(好感の持てるちゃんとしたレストランだった。)

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はっきりしないお天気でも、ヤエハクサンシャクナゲを見られる所がある。
桶沼のほとりにある吾妻小舎のそばにもあるらしいのだ。

小舎まで行ったのだが、よく分からない。
あきらめて帰ろうとしたら、テントサイトの管理をしているらしいおじさんが
戻ってきたので、さっそく教えてもらった。

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残念ながらここの花はピークを過ぎている。
咲いたばかりの花が、テントサイト★番の所にあると聞き、そちらに向かう。
その前に、ついでとばかり、ずうずうしく小舎の中を見学させてもらった。

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このエントリの冒頭の花がテントサイトのそれ。白色系のきれいな花だった。

発見から110年が経つ。
当時福島師範学校博物教室助手の中原源治が?となり、標本を牧野富太郎博士に送る。
新種だということになり、牧野が中原の恩師である福島師範教授根本莞爾の名をつけ
根本石楠花と名づけた。ということらしい。
一見すると麗しい話のようだが、当時の慣習なのかも知れないが、弟子の業績を
自分の業績に横取りしてしまったような印象を否めない。

posted by 山口屋散人 at 18:17| Comment(3) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年05月22日

あつかしやま

国見町のアツカシヤマは二通りの書き方がある。
現在地図などの表記は「厚樫山」。
例の源頼朝との決戦その他の史跡としては「阿津賀志山」。

厚樫山の麓で防塁は在来線によって寸断されている。
山側にこんな石碑があった。

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「史跡 阿津加志山二重空堀」とある。
あんれれ・・「か」の字が違うでないの?

ということで、家に帰ってから調べてみたら、このあたりの地名を「阿津加志山」。
では、どういう使い分けかというのは、分からない。
(国見町のお客さんにでも聞いてみるべか・・)



posted by 山口屋散人 at 22:07| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年05月20日

ぶらりと桑折 国見へ

半端な時間しか取れず、無目的に北へ進路をとる。
ワンコの社会勉強のために人が集まるところは・・・うーん思いつかない。
まだ未見の藤倉ダムでも行ってみるかと走ったのだが、道がしっかりと施錠されていてダメ。
それでは家人に半田銀山の坑口を見せてやろうと二階平坑口へと向かう。

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坑口から中へは入れないが、近付くと電燈が点くようになったらしい。

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石母田城跡の近くで、馬に出会う。
でっかい動物にワンコは仰天。
今日の社会勉強はここか。

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posted by 山口屋散人 at 21:29| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

信夫山の古井戸と水神様

信夫山の羽山にあったはずの古井戸と水神様の石碑。
真面目に探したことがあったが、当ブログの記事を検索してみると
2007年のことであった。
http://yamagutiya.seesaa.net/article/32822806.html

整備された時に、てっきり移動なり処分されたのかと思っていたら、なんと!!
今日の朝、ワンコを連れて歩いていたら、あらら・・あっさり発見!

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井戸のポンプは外されていたが、水神様と土台は健在だった。
高校時代以来の御対面であるので、40年ぶりくらいということになる。

posted by 山口屋散人 at 19:26| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

塩の道、秋山街道を探して

徒歩では一回だけだが、車では何度も通っている十万劫山への道。
この中腹に「塩の道」又は「秋山街道」とも言われる川俣からの街道が合流
しているとTUKA さんに教わった。
その合流地点を探しに、昨日の朝、二度目の挑戦。



その気になって探さないと見つからない。
まして車上からでは困難だろう。

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ちょっと入ってみた。
10数メートルも歩くと、藪。
それも性質の悪い蔓性の物でこれは大変そうだ。
装備を整えて午後から出直すことにした。

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一人での探索なので、弁慶の七つ道具ばりの重装備となったが、ありゃりゃ・・
入ってすぐの藪以外はたいしたことがない。
けっこう快適な道が続く。

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こういう標識があるということは、以前は車も通行していたようだ。
さほどの困難もなく林道と合流する。

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あちこちに「立ち入り禁止」の看板が目立つ。
山菜が採れるような山でもなさそうだし、そもそも交通量など無いに等しいのでは。

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出発地点から40分ほどで人家が見えてきた。
分校のある上染屋方向を撮った画像と曲ヶ坂に出て、振り返って見た画像。

ここで先日アップした動画が間違っているのに気が付いた。

曲ヶ坂2−1-1.jpg

上染屋方向から撮った動画の中で、秋山街道と思ったのは別の道であった。

以下、探索行のログデータ。

笹峠から曲ヶ坂-1−1−1.jpg

GPSログデータであるが、出発地点から数分の間が明らかに違っている。
機械の故障でもないだろうが、電波の乱れか?







posted by 山口屋散人 at 21:26| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

通ることのない道

同じ福島市内にもかかわらず、この歳で初めて足を踏み入れる地区もある。

http://yamagutiya.seesaa.net/article/355474931.html

このTUKAさんの書き込みによって、いつも車で走っている十万劫山までの道に
秋山街道が合流していたらしく、その合流地点を探しに行ったのである。
(行ったのは先週の土曜日の夕方)

下調べが足りなかったせいか残念ながら見つけることはかなわなかった。
そういう時は逆にたどるに限る。
そう思い、云わばコースの下見を兼ねて、かつ分校跡も見学してくることにして
十万劫山をそのまま南下する。

曲ヶ坂2−1.jpg 


読み方が分からない「曲ヶ坂」地区から秋山街道らしき道が登っていくのが見える。
細い道なので、車で登るのは危険そうだ。
大波小学校上染屋分校は坂の途中とも言うべき変則交差路の角にあった。

上染屋分校−1.jpg


今にも子供たちが飛び出してきそうな感じで建物が残っている。
しかし4年ほど前に廃校になっているはずである。
集会所は近くに別にあるので、何かに使われているのだろう。
廃校になっても看板は外されてなかった。
この地区の人々の思い入れがあるのかも知れない。

福島市小学校廃校一覧A.JPG




posted by 山口屋散人 at 22:12| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

福島市松川にて

途中、松川で引っかかり、走っていたら偶然に通りかかる。
隕石だという伝説があるのは知っていたが、とりあえず一個発見。
もう一つ、あるらしいので次回に。

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近くの水原川になかなか良い雰囲気の木橋を見かけたので、寄ってみた。
土合館公園の駐車場から歩ける。

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この橋を通るのはせいぜい畑に向かう農家の人達だろうが、耕運機も通れない。
云ってみれば贅沢な橋ということになるか。


posted by 山口屋散人 at 09:55| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

下村藩陣屋跡リベンジ

奥土湯まで出かけてきたので、あっち方面見学の宿題をついでに片付ける。
まずは「旧跡 鹿の足跡」。
旧道115号線ぞいにあるというが、何度も通ったわりには記憶がない。
交通量が激減した旧道をゆっくりと走る。
あった、あった。

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連続のカーブ、狭い道、前後を走る車に気をとられて、脇を見る余裕がなかったのだろう。
今まで何故気が付かなかったのだろうという感じ。
しかし大石は確かにあったが、草ぼうぼうで足跡らしきものは発見できなかった。

さて次は先日近くまで行きながら、たどり着けなかった下村藩陣屋跡といわれる稲荷神社。
道路でなく水路をたどるとTUKAさんにアドバイスを頂いたので、先日と同じ集会所に
車を置かせてもらって探すと、なんとすぐ脇を流れていた。

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これじゃ、分からないはずだ。
思ったより荒れはててはいなかったが、半ズボン姿でここは歩けない。
しっかりとヤブ蚊に栄養を吸い取られてきた。

posted by 山口屋散人 at 18:24| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

荒井のあたりをウロウロ

福島市荒井に「郷倉」というものが残っていると聞いて見物に出た。

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郷倉「ごうくら」と云うのが正しいのだが、荒井ではゴウソ、又はゴウグラと
なまって呼ばれていたとのこと。
高床式で湿気を防ぎ、二重張りの板壁でねずみの害から守る。
何を守るのかというと、飢饉、大凶作、大不作に備えて保管してある種モミ。
種モミ備蓄倉庫なのである。
昭和9年に東北地方に5200倉、福島県内に既設を合わせて856倉も整備された。
しかし、農業技術の進歩と河川の改良等による水害の減少などで存在意義を失い
市内に残るのは、確かここだけ。
案内板も何も無かったが、事前に写真を見ていたので特定可能だった。

次は
「国外渡航記念燈」
どうも違和感があるネーミングだ。
現代風に言えば「海外移住記念」だろうし、これだけ大きければ燈篭の燈ではなく
塔の字だろう。しかし形を見れば燈篭のでかい物に間違いない。
当時、失礼ながら食い詰めて故郷を追われ海を渡った人々は、自らのことを国外渡航
したなどと言ったとは思えない。

八幡神社の境内にあるとあり、広い境内の一画にあると勝手に想像していた。
だが、びっくりするくらい小さく狭い境内で、不似合いな大モニュメントだった。
海外で成功した人達が、故郷でドカンと一発花火を揚げたかったのだろうか。

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その次は「下村の宿」
福島市には江戸期に本藩であったのが、二つある。
板倉三万石と下村一万石である。
下村一万石の初代はあの田沼意次の孫である。
佐倉下の辺りに7000石相当の領地を持ち1787〜1823までこの地を支配する。
この下村の宿は、松川、大森、庭坂、李平と続く米沢街道のなかにあり、大森と
庭坂の間の宿であった。

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現在はこの一画だけ道が残っているものの、残念ながら北側も南側もちょんぎれている。
この道の西側に紫内という地があり、そこら辺が下村藩陣屋跡であるはずなのだが、
目印となる小さな稲荷神社を見つけられなかった。
通りがかりの地元の方に聞いたが、知らないとのこと。
おばちゃんだったのが拙かったか。
posted by 山口屋散人 at 17:55| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

3分で二等三角点649.9m

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テレビの電波塔が林立する笹森山には一昨年の10月に行った。
ところが、ぐるっと一周出来るのを知らずにUターン、また三角点も訪問しなかった。
したがってリベンジ。

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道路から標高差50Mを直登で3分。
車から降りてすぐの難コースに息切れ。


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ついでに小田にある陽林寺に寄り、伊達政宗のひい爺さんと大叔父の墓を見学。
前回は雪のため墓前まで行けなかった。
ふと見ると、破竹が1本。
小生が生きている間に破竹を採りに行ける事はもう無いだろうな。



posted by 山口屋散人 at 16:11| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

大滝の蛇体道を峠まで

大滝集落跡の西端から小川支流の西川に沿って北に向かうソマ道がある。
昨日、峠に至るまで歩いてきたのだが、ログを表示してみて驚いた。
国土地理院の地形図にも載っていない道なのだが、何と途中までだがグーグルの地図
にはある。(マピオンにもあったがマップファンには無い)
そして概ね合っている。

キャプチャ.PNG2.PNG

去年歩いた時より、さらに荒廃がすすんでいた。

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実質的には片道2時間の歩行距離でこれだけである。
大滝集落の住人は荷を背負い、この道を茂庭まで歩いたという。
くねくねしているせいか、蛇体道(じゃたいみち)と呼ばれている。

大滝集落跡では笹の花が咲いたという記事を目にしたのだが、よく分からなかった。
稲の花みたいに極めて短時間なのだろうか。
(当ブログのリンク先の「わが大滝の記録」さんをご覧ください)


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2012年06月10日

信夫発電所へ

午後から雨はあがったが、かといって中途半端。
ついでに寄ってみたい所は数々あれど、目的とするには弱い。

思いついて、信夫発電所に行ってみることにした。

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近代化遺産だそうで、切妻の屋根が時代を感じさせ、何故か初見なのに懐かしい。

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最大発電量は5950kW。
一般家庭の約2000軒分だ。

    犬

発電所の門の手前50Mほどの所に空き家がある。
歩きながらだんだんと近付いていくと、何やら違和感がある。
屋根の上に・・変な物が乗っている。
お昼寝? ・・まさかこんなところで・・
一瞬、「やっちゃったか!」と覚悟した。
「第一発見者かよ〜。」
心臓がドキリと鳴って早鐘を打ち始めた。

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2012年05月13日

魔女の瞳にごあいさつ

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5月ともなれば、やはり魔女の瞳に挨拶してこなければならないだろうと考える。
行かないことには何か落ち着きが悪い。

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浄土平の奥の方の駐車場。裸地での測定値。

酢ヶ平から一切経に登るのは久しぶりだ。このところ下山路に使うことが多い。
そのせいか、こんなにシンドかったっけ?と言うくらい息切れした。

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頂上に出るとさすがに風が強い。気温は5度。
魔女の瞳の写真もそこそこに下山。
少し下ったところで風が弱まったので、ここでも放射線量を測ってみた。
何故か、浄土平と同じ。(標高は300m位は違うのだが)

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帰路、久しぶりに鎌沼をぐるっと歩いて姥ヶ原へ出る。
姥神さまにもご挨拶しなければ、吾妻の山を歩けない(ウソ)。

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その姥神さまのご利益か、この鎌沼を歩きながら、何度つぶやいたろう。
「うっひゃ〜綺麗だね〜」(単独行なので独り言ぶつぶつ、老化・・)

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「現世と来世の境」、ということは、「この世とあの世」の境にいて見守るという姥神さま。
確かにここまでの山容とこの先の谷地平に向かう道の違いようは甚だしい。
まるで陽と陰で、夏などの植物が繁茂する時期は薄暗く不気味な登山道である。

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2012年04月29日

野手上山 これじゃ登れぬ

飯舘村の野手上山に行ってきた。
この山は林が飛び抜けて綺麗なのでお気に入りの山だった。
そして今頃は九輪草が密かにと咲いているはずの場所があった山だ。

麓にある風兼ダムは水を湛えていなかった。
下流域で農業用水の需要が無いということか。それとも飯舘村の水だからか。
P4291781.jpg P4291788.jpg (ここでの線量は4.0を越す)

さらに林の中の登山道を上がっていくと小生の線量計が過去最高を記録した。
P4291790.jpg P4291794.jpg (線量計は5.97を記録)

多少の放射線量など気にしないが、思ったより高かったのでどうしようか迷った。
何となく息苦しいし暑い。苦しくても深呼吸をするのにためらいが生じる。
ともあれ九輪草の咲いている所までと歩くことにした。
しかし、九輪草は姿を消していた。どうしたのだ? 残念だがここで引き返す。
P4291809.jpg P4291810.jpg (線量計は5・13)

帰る途中の圃場で、何か黒い物が散在している。
近付いて見ると「耐気候性」の何とかと書いてあるシートだった。
つまりは除染のため表土を剥ぎ取ったものが包んであるらしいと想像する。
P4291833.jpg P4291835.JPg (ここでも4.06ある)

この光景にだんだんと腹が立ってきた。この風光明媚な村を汚しやがって!!
こうなると例のインチキだという飯舘村役場のモニタリングポストを見てこなければ。
P4291838.jpg P4291840.jpg P4291841.jpg

被害者である飯舘村民や役場職員が、放射線量の数値が低く出るような工作に加担
しているとは思えない。
しかし、この役場の数値(0・82)がその地区の代表的場所の数値としてNHKなどは
現実に放送しているのだ。
そうすることによって一体誰が得をするというのだろうか。

posted by 山口屋散人 at 22:25| Comment(9) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

松川事件の現場へ

在来線に乗ると上下とも松川駅と金谷川駅の中間地点でチラッと松川事件の
記念碑等を見ることができる。
が、在来線は何年も乗っていない。
車で行ってちゃんと見てみることにした。

昭和24年に起き機関士3人が死亡した全国的な有名事件だ。
前年の庭坂事件も同じく3人の死者を出しながら全く忘れ去られている。
それに対して、この事件を有名にしたのは20名の逮捕者を出したことだ。

「旧4号線から美郷団地に入り、そのまま陸橋を渡ると下に記念塔が見える。」
その情報だけを頼りに、後は現地で何とかしようと出かけてみた。

陸橋から塔が見えたので、Uターンして団地に戻り、何とか見える所を探す。
ヤブが邪魔だったので、がさがさかき分けて行くと、慰霊碑が真下にあった。

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農道のようなものがあるので、車でも行けるはずである。
と言うことは踏み切りを探して・・
ナビを最大限に拡大して、この辺りと見当をつけ南下する。
実に分かり難い。
踏み切りがあったので、すぐ左折する道を選択し正解。

事件とは無関係ながら、何とも言いがたい大石が途中の畑にあった。
道祖神ということだが、石の他は何もそれらしい物が無かった。

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殉職慰霊碑とお地蔵様、少し離れて労組による「謀略忘れまじ松川事件」の碑。
この碑文に、先ごろ話題になった「暴力装置」という単語が出てくる。
この碑は1999年建立とあるが、その当時もこんな言葉を使っていた・・?

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記念塔の方へ行ってみる。
軽自動車でないと行けないような農道である。

P4221755.jpg P4221754.jpg P4221760.jpg

この塔は裁判を支援してきた人たちが建てたものらしい。
広津和郎が碑文を書いたとある。
公園(松川記念塔公園)とあるが公立の公園とは違うような気がする。
東屋などもあるが、寛げるような雰囲気ではなく何か変な場所だ。
何故、この場所なのかというと、正面に事件現場である上り線のカーブが
良く見渡せるからであろう。(現在は下り線)
この記念塔公園まで車では入れない。
駐車場は無いし、そのままバックで戻るようになる。
危なそうなので、車を置いて歩いて正解だった。

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posted by 山口屋散人 at 07:53| Comment(4) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

稲村彦衛「西根堰物語」

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このところズ〜ッとこの本にかかりきりだった。
酒を飲みながらの楽しみとしての読書であったので、ひどい時には3ページしか進まない。
2週間ほどかかったが、めでたく読了。

「民報マイブック」いわゆる自費出版の物だ。
図書館に行くと、郷土関連のコーナーにあるのは知ってはいたのだ。
ぺらぺらとめくってみたことはあるが、400ページを越える分量である。
よほど面白くなければ読了できるものではない。
よくある「自分史」のように、書いた本人だけ大満足なのだが、周囲は大迷惑という類
ではないかという先入観があった。
題名にしても「西根堰物語」は良いが、副題の「紅葉散る李平の悲歌」というのが自己陶
酔型のそれではないかという気がしていたのだ。

ネットオークションで、偶然この本を見つけた。
西根堰に関しては知識も増えてきたが、何か他に得るものがあるかも知れないと落札購入。

職業作家と比較しては失礼ながら、構成や会話部分に若干の違和感がある。
しかし、読み進むに従って稲村彦衛という著作者の確固とした深い知識と識見に
驚きと敬意を抱くようになってきた。
生半可の人の力量ではない。

この稲村彦衛氏をネットで検索してみると、出てくるのはこの位のものである。

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どうも理系の方であるようだ。
生年は昭和6年とのことであるので、今年で満81歳になられる。
稲村彦衛氏の他の著作は見当たらない。
生涯に一冊の良書を、ひっそりと残す・・この著者の哲学かも知れない。



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2012年03月23日

ドイツZDF フクシマのうそ

ドイツZDF.jpg

ドイツの公共放送の番組。
当然ながら東京電力から何ら恩恵を受けていないメディアであるから
それなりに信用して良いのではないだろうか。

見るに値する番組だった。(下記リンク先からご覧ください)

           右斜め下   
     ドイツZDF フクシマのうそ





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2012年03月20日

福島県初の発電所?

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西根堰の帰りがけ、半田銀山の坑口を探して、またも迷い、ウロチョロしたのだが、
こんなものに出くわした。
ここに福島県初の水力発電所があったというのだ。
あらら、庭坂発電所が最初じゃなかったっけか・・?

同行していたのはH氏とsunnypanda氏。
sunnypanda氏とは2005年の9月に「庭坂発電所」について、お互いのブログでやり
取りしている。(Googleで庭坂発電所と検索すると今でも上位に出てくる)

庭坂発電所は水力発電所としては東北で2番目、県内では第1号のはずであった。
「あれ? 変だね・・」などと話しながら、建て主を確かめるべく標柱の後ろに
回ったが、記述無し。


少しく調べてみた。
ここに発電所が出来たのは明治26年とのこと。
庭坂発電所は明治28年。
確かにこちらの方が早い。
では何故、オフィシャル的にはこちらの発電所ではなく、庭坂発電所となるのか。

この半田沼の水を引いた発電所は半田銀山で使用するための自家発電であり、売電
のための施設ではないためカウントされていないのだ。
それに反して庭坂発電所は商業利用のための施設だった。
どうもそういうことらしい。

また、亀張水路については「街道てくてく」さんのブログによると石積みのことのようで
ある。(街道てくてくさんとは話はしなかったが、この間の堰の見学会で一緒だった)
posted by 山口屋散人 at 19:12| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

西根上堰 収穫はたぬき

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数年前のことだが、西根上堰を自転車で取水口から延々と辿ったことがある。
残念ながら、その当時の資料では万部の洞門の位置を特定出来なかった。
行けばなんとかなるだろうと思ったが、大木戸のあたりで水路の本流を見失い
到達できないで終わってしまった。

先日の上堰の見学会では寒さに震え、落ち着いて見れなかったので、かつての
自転車メンバーに呼びかけ、出向いてみた。

しかし・・まだ水量は大したことはなかろうという予想は大外れだった。
40〜50センチの深さがあり、しかも流れが速い。
農業用水の需要はもう始まっていたのだ。
洞門内部の見学を早々にあきらめ、とぼとぼと水路を上流に上って雷神山にむかう。

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雷神山の隧道は明治になってからショートカット水路として造られたものだ。
水の漏れが多かったらしい。
そのため、それ以前の姿の旧水路跡が見られる。
そこを辿ってみることにした。

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さりとて、はるばる福島市内から車を飛ばしての代償としては不足である。
わずか30分足らずのお散歩であったが、万部の洞門は意外なお土産を用意していてくれた。
なかなか見れない野生動物の姿だ。

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2012年03月05日

陽林寺の山門を見学

通りすがりに寄るという場所ではないので、わざわざ此処を目的として
行かなければならない。
福島市内とはいえ、平石、山田といった地域は大方の市民には足を踏み
こんだことのない地域だろう。

ここに伊達家14代稙宗(タネムネ)の創建になる陽林寺がある。そして彼の墓もある。
この稙宗というのは独眼流政宗のひぃじいさんにあたる。
ちなみにじいさんの晴宗の墓は舟場町の宝積寺にある。

ここ陽林寺には稙宗の三男、大森城主の実元(サネモト)の墓もあるのだが、
雪のため二人の墓前までたどり着けなかった。
ともあれ、今回は山門と幕府代官、山中太郎右衛門の墓を見学。
領民に慕われる「お代官様」もいるのである。

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posted by 山口屋散人 at 18:05| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする