2012年04月24日

松川事件の現場へ

在来線に乗ると上下とも松川駅と金谷川駅の中間地点でチラッと松川事件の
記念碑等を見ることができる。
が、在来線は何年も乗っていない。
車で行ってちゃんと見てみることにした。

昭和24年に起き機関士3人が死亡した全国的な有名事件だ。
前年の庭坂事件も同じく3人の死者を出しながら全く忘れ去られている。
それに対して、この事件を有名にしたのは20名の逮捕者を出したことだ。

「旧4号線から美郷団地に入り、そのまま陸橋を渡ると下に記念塔が見える。」
その情報だけを頼りに、後は現地で何とかしようと出かけてみた。

陸橋から塔が見えたので、Uターンして団地に戻り、何とか見える所を探す。
ヤブが邪魔だったので、がさがさかき分けて行くと、慰霊碑が真下にあった。

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農道のようなものがあるので、車でも行けるはずである。
と言うことは踏み切りを探して・・
ナビを最大限に拡大して、この辺りと見当をつけ南下する。
実に分かり難い。
踏み切りがあったので、すぐ左折する道を選択し正解。

事件とは無関係ながら、何とも言いがたい大石が途中の畑にあった。
道祖神ということだが、石の他は何もそれらしい物が無かった。

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殉職慰霊碑とお地蔵様、少し離れて労組による「謀略忘れまじ松川事件」の碑。
この碑文に、先ごろ話題になった「暴力装置」という単語が出てくる。
この碑は1999年建立とあるが、その当時もこんな言葉を使っていた・・?

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記念塔の方へ行ってみる。
軽自動車でないと行けないような農道である。

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この塔は裁判を支援してきた人たちが建てたものらしい。
広津和郎が碑文を書いたとある。
公園(松川記念塔公園)とあるが公立の公園とは違うような気がする。
東屋などもあるが、寛げるような雰囲気ではなく何か変な場所だ。
何故、この場所なのかというと、正面に事件現場である上り線のカーブが
良く見渡せるからであろう。(現在は下り線)
この記念塔公園まで車では入れない。
駐車場は無いし、そのままバックで戻るようになる。
危なそうなので、車を置いて歩いて正解だった。

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posted by 山口屋散人 at 07:53| Comment(4) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

稲村彦衛「西根堰物語」

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このところズ〜ッとこの本にかかりきりだった。
酒を飲みながらの楽しみとしての読書であったので、ひどい時には3ページしか進まない。
2週間ほどかかったが、めでたく読了。

「民報マイブック」いわゆる自費出版の物だ。
図書館に行くと、郷土関連のコーナーにあるのは知ってはいたのだ。
ぺらぺらとめくってみたことはあるが、400ページを越える分量である。
よほど面白くなければ読了できるものではない。
よくある「自分史」のように、書いた本人だけ大満足なのだが、周囲は大迷惑という類
ではないかという先入観があった。
題名にしても「西根堰物語」は良いが、副題の「紅葉散る李平の悲歌」というのが自己陶
酔型のそれではないかという気がしていたのだ。

ネットオークションで、偶然この本を見つけた。
西根堰に関しては知識も増えてきたが、何か他に得るものがあるかも知れないと落札購入。

職業作家と比較しては失礼ながら、構成や会話部分に若干の違和感がある。
しかし、読み進むに従って稲村彦衛という著作者の確固とした深い知識と識見に
驚きと敬意を抱くようになってきた。
生半可の人の力量ではない。

この稲村彦衛氏をネットで検索してみると、出てくるのはこの位のものである。

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どうも理系の方であるようだ。
生年は昭和6年とのことであるので、今年で満81歳になられる。
稲村彦衛氏の他の著作は見当たらない。
生涯に一冊の良書を、ひっそりと残す・・この著者の哲学かも知れない。



posted by 山口屋散人 at 08:00| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

ドイツZDF フクシマのうそ

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ドイツの公共放送の番組。
当然ながら東京電力から何ら恩恵を受けていないメディアであるから
それなりに信用して良いのではないだろうか。

見るに値する番組だった。(下記リンク先からご覧ください)

           右斜め下   
     ドイツZDF フクシマのうそ





posted by 山口屋散人 at 19:37| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

福島県初の発電所?

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西根堰の帰りがけ、半田銀山の坑口を探して、またも迷い、ウロチョロしたのだが、
こんなものに出くわした。
ここに福島県初の水力発電所があったというのだ。
あらら、庭坂発電所が最初じゃなかったっけか・・?

同行していたのはH氏とsunnypanda氏。
sunnypanda氏とは2005年の9月に「庭坂発電所」について、お互いのブログでやり
取りしている。(Googleで庭坂発電所と検索すると今でも上位に出てくる)

庭坂発電所は水力発電所としては東北で2番目、県内では第1号のはずであった。
「あれ? 変だね・・」などと話しながら、建て主を確かめるべく標柱の後ろに
回ったが、記述無し。


少しく調べてみた。
ここに発電所が出来たのは明治26年とのこと。
庭坂発電所は明治28年。
確かにこちらの方が早い。
では何故、オフィシャル的にはこちらの発電所ではなく、庭坂発電所となるのか。

この半田沼の水を引いた発電所は半田銀山で使用するための自家発電であり、売電
のための施設ではないためカウントされていないのだ。
それに反して庭坂発電所は商業利用のための施設だった。
どうもそういうことらしい。

また、亀張水路については「街道てくてく」さんのブログによると石積みのことのようで
ある。(街道てくてくさんとは話はしなかったが、この間の堰の見学会で一緒だった)
posted by 山口屋散人 at 19:12| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

西根上堰 収穫はたぬき

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数年前のことだが、西根上堰を自転車で取水口から延々と辿ったことがある。
残念ながら、その当時の資料では万部の洞門の位置を特定出来なかった。
行けばなんとかなるだろうと思ったが、大木戸のあたりで水路の本流を見失い
到達できないで終わってしまった。

先日の上堰の見学会では寒さに震え、落ち着いて見れなかったので、かつての
自転車メンバーに呼びかけ、出向いてみた。

しかし・・まだ水量は大したことはなかろうという予想は大外れだった。
40〜50センチの深さがあり、しかも流れが速い。
農業用水の需要はもう始まっていたのだ。
洞門内部の見学を早々にあきらめ、とぼとぼと水路を上流に上って雷神山にむかう。

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雷神山の隧道は明治になってからショートカット水路として造られたものだ。
水の漏れが多かったらしい。
そのため、それ以前の姿の旧水路跡が見られる。
そこを辿ってみることにした。

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さりとて、はるばる福島市内から車を飛ばしての代償としては不足である。
わずか30分足らずのお散歩であったが、万部の洞門は意外なお土産を用意していてくれた。
なかなか見れない野生動物の姿だ。

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posted by 山口屋散人 at 21:17| Comment(6) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

陽林寺の山門を見学

通りすがりに寄るという場所ではないので、わざわざ此処を目的として
行かなければならない。
福島市内とはいえ、平石、山田といった地域は大方の市民には足を踏み
こんだことのない地域だろう。

ここに伊達家14代稙宗(タネムネ)の創建になる陽林寺がある。そして彼の墓もある。
この稙宗というのは独眼流政宗のひぃじいさんにあたる。
ちなみにじいさんの晴宗の墓は舟場町の宝積寺にある。

ここ陽林寺には稙宗の三男、大森城主の実元(サネモト)の墓もあるのだが、
雪のため二人の墓前までたどり着けなかった。
ともあれ、今回は山門と幕府代官、山中太郎右衛門の墓を見学。
領民に慕われる「お代官様」もいるのである。

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posted by 山口屋散人 at 18:05| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

無明の闇の福島

ネット競売で落札した物の詰め物として入っていた古新聞である。

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記事を読むと大阪府内の読売新聞のようだ。
平成8年12月17日とあるから、阪神淡路大震災の翌年である。
よほど復興が進んでいるのであろうか関係者の表情が明るい。
記事に躍動感のような力強さを感じる。

それに引きかえ、東北はどうだ。
まだ闇の中をさまよう福島はどうだ。
浜の真砂を数えるような気の遠くなるような除染など、果たして可能なのか。

「あの光るのが阿武隈川」であった故郷の川は、下流へ下流へと放射性物質を
押し出していく恐るべき川になりつつある。
福島大学の小山准教授は「下流域の宮城県がこれから危険です」と予言した。

何度倒産しても足りないと言われている東電は、料金の値上げを申請したそうだ。
肩で風を切って歩いていた東電の高給取り社員の給料はそのままなのだろうか。
避難を余儀なくされた飯舘村の役場職員の給料水準以下に下げるべきではないのか。

posted by 山口屋散人 at 21:29| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

今冬の二ッ小屋隧道は・・

予定より大分遅れたが、厳しい寒さが続いているので、氷柱に影響は
少なかろうと万世大路は二ッ小屋隧道に出かけてきた。

前日の25日は福島市内でも10数センチの積雪があった。
ということは栗子峠など倍くらいは降っていることだろう。
しかし、予定通り実行にうつす。

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結果として氷柱は、寒さが厳しければ厳しいほど育つというものではなかった。
昨冬のように寒暖を繰り返し徐々に寒さが増すといった気候が最適なのだろう。
急激な寒さは天井から滴り落ちる水滴を凍らせ、元栓を締めてしまうのかも
知れない。
昨冬の米沢口にあった巨大な氷柱が今年はまったくゼロというのは地下水脈が
震災のため変わったということだろうか?
posted by 山口屋散人 at 20:52| Comment(9) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

西根堰の資料公開

先日の西根堰の隧道見学会で伊達西根堰土地改良区(水土里ネット西根堰)から
いただいた西根堰に関する資料集です。

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土地改良区では多くの人に資料を活用して欲しいとの意向です。
下記リンク先にZIP形式のファイル(680MB)として置いておきますので、一括DLし
解凍してお使いください。
(「街道WEB」のTUKAさん、お待たせしました。)

   「西根堰関係資料集
posted by 山口屋散人 at 06:38| Comment(1) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

西根上堰 万部の洞門見学


前後は改修されているが、中ほどは1630年頃の開削時のままという万部の洞門。
画像は良くありませんが、雰囲気は分かるかと・・
全長は約90メートル。
ちょっと長いです。(4分半)


posted by 山口屋散人 at 09:20| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年02月19日

西根上堰隧道見学

数年前、西根上堰を取水口から延々とチャリで辿ったことがある。
しかし、大木戸あたりで堰を見失い、阿武隈川に注ぐところまでは行けなかった。
それでもママチャリで往復60キロ近い走りだったのでそれはそれは疲労困憊した。

   犬

小生がいつも参考にさせてもらっているブログに「としぼーのブログ」さんがある。
そこで、今回のイベントがあるのを知った。
(としぼーさんも参加されているはずなのだが、どの方か分からなかった)
西根堰土地改良区の主催で、上堰の隧道をめぐるのだという。
ただし、土曜日である。
大概イベントは土曜日に組まれていることが多いので参加できない。
しかし、これは・・!!
締め切りは明日だ。はたして間に合うか。

女房殿に相談して、締め切りに間に合えば店を休んで参加することにした。
(実際には午前中で終わるので、とんぼ帰りで開店時間を遅らせて営業した)

締め切り最終日だったが、うまく定員枠に収まることができた。



この竹ノ花隧道は明治期のものだ。水路ではあるが、入口ってあるのが親切か?
まぁ入口には違いない訳だけど、じゃあ、あっち側は出口と書いてある?
出口に到達したころは、確認するのをすっかり忘れていた。

やはり、開削当時そのままの姿が残っている部分が多い「万部の洞門」と
言われる隧道が一番感動的なのだが、うまく映っていない。残念。

   犬

それよりも参加費無料でいっぱいお土産をいただいた。
タオル軍手お茶などのほかに何故かトイレットペーパーなどなど。
そしてCD一枚と案内資料。
このCDが優れものだった。第一級の資料集である。
posted by 山口屋散人 at 13:14| Comment(4) | 福島 | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

マイナー神社で初詣

晴れてはいるが風が強い。
そのせいか山がすっきりと見える。

カメラを片手に信夫山は烏ヶ崎に登ってみた。

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栗子山方面はというと、あちゃー雲がかかっている。残念。


  犬

ついででご利益が無いかもしれないが、初詣をしてきた。
信夫山護国神社の脇にひっそり?とある黒沼神社である。
この神社は規模こそ小さいが延喜式内社である。
実はこの神社の扉が開いているのを初めて見たのである。

隣の護国神社は賑わっていたが、こちらは小生の独占だった。

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   犬

今年は喪に服す必要があった訳ではないのだが、賀状は遠慮した。
そんな気になれなかったからだ。
いつも年賀葉書を押し売りする知合いからも電話が掛かって来なかった。
彼もそんな気になれないのかも知れない。

ということで、賀状をいただいた皆様、後ほど「寒中見舞い」などでご容赦を。
posted by 山口屋散人 at 21:25| Comment(2) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年12月05日

北辰の碑と岡部大壇愛宕神社

遠くに出かけるばかりが能じゃないので、近くでまだ未見のものを見物に行く。

明治と年号が変わる歳に、此処が北緯38度であるという石柱碑を建て、ついでに
日時計にしてしまった板垣という地元学者がいる。
よく写真では御目文字しているのだが、現物は見たことが無い。

その碑がある福島市鎌田舟戸の諏訪神社を調べてみると、なんと4号線のすぐ脇にある。
八反田川に掛かる橋のたもとで子育て地蔵という看板が目立つ場所だった。
ここは地蔵堂だとばかり思っていたが、実は神社が家主でお地蔵さんが店子。

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ちなみに正確に北緯38度はどの辺かというと白石駅のあたりである。
地球規模や時代からすると約30Kの違いは微差というべきなのか。


次いで、阿武隈川を渡り、岡部の愛宕神社へと向かう。
ここはこの間通った時に見つけていた。
ただ道が狭いわりに交通量が多く、うっかりしておれない所だ。
周囲に駐車するような所はなさそうなので、神社のすぐ脇の道を突っ込んでみたら
裏に集会所のスペースがあり、そこに停められた。

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阿武隈川の氾濫に備えて、避難場所として築いたものだそうだが、思ったより小さい。
そしてあまり高くない。数メートルの規模に見える。
今年は巨大津波の映像を見たせいかもしれないが、川の氾濫などには十分なのかも。

しかし、これを築いたのは古川善兵衛とのことであるが、善兵衛は前年に死んでいる。
すると善兵衛の後任の代官の事績となろうものだが、はて後任って誰だっけ?

名工の山口村、藤原右源次の手になるものとのことであるが、ちょっとそれはない。

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もちづり観音の多宝塔を作ったような工人が、こんなものを作るはずがない。

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周囲に銀杏の樹があるらしく、実を踏み潰して歩かねばならない。
例年であったら、こんなことはないであろう。
今年は採取する人がいないのだ。
東京電力の罪は重い。
posted by 山口屋散人 at 06:15| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

危うく遭難しそうになった

天気がよろしい+ひま=どっかに出かけるか・・と
現在時間(正午)から日暮れまでの時間を計算。
今の季節が最適で、手軽なところは・・と。


とりあえずF班長の携帯にメールを送る。
「暇なら畳石山のお地蔵さんでもどーだす?」
F班長も乗ってきた。


お地蔵さんに会いにいくのも三度目だ。
だいたいの地形は頭にある。
それを頼りにして、コンパスとGPSロガーは
持ったが地図は持たなかった。
五感を磨くつもりもあり、なるべくコンパスは
出さないで勘を頼りに歩いてみることにする。
前回の雪の中で迷ったところに出たら後でロガーで
確認するつもりもあった。
多分、今回も同じ間違いを犯す可能性がある。

場所はきぼっこの森の東屋から直線的にピークをめざし、
ピークから「半バ右向ケ右ィ〜!」くらいの方向で
下がって上がったところにあるはず・・

ところが、やはり方向がずれて、前回雪の中を迷った時と
同じ地点にたどり着いた。
素直に元のピークに戻ってやりなおす。

今度は無事にお地蔵さんに到着。
大きいお地蔵さんは、前回十分に観察したが、小さい方は
よく見ていなかった。
何か書いてないか、落ちた頭部はその辺りにないか探す。

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頭部は見つからなかったが、右側に文政三△△とあった。
また裏側に井上△△と人名のような刻みがある。

大きいお地蔵さんは天明二年(1783)とあり、小さい方は
文政三年ならば1820年で、37年後に建てられたということになる。

天明の大飢饉直前に建てられた大地蔵さんと、江戸後期の
町人文化の爛熟期、化政文化ともいわれる時期の小地蔵さん。
この二つのつながりはわからない。
井上というのが姓だとすれば、姓を持つ階層の人の建立となる。
分らないことだらけだが、大地蔵さんは二百年以上ここに立っている。
小地蔵さんも、もうすぐ二百年だ。


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さて、問題の帰り道である。
F班長が聞く。
「ここから道の駅の方角は?」
小生、自信をもってストックで西北西を指す。
では、ここから西に向かって直進したのち北上しよう、となった。

実はこの西北西は間違いで、西南西が正しい方向だ。
つまり45°位の方向間違いということになる。

最初のうち、地形は思い描いたような通りのものだった。
ただピークの形が違うことに気がつく。。
左へ来すぎたか(南に寄りすぎたか)と思い、右へ右へと
(徐々に北に向かって)コースをとる。

きぼっこの森がいつまでも見えてこないので、あせってきた。
どうということのない野山ではあるが、日暮れまであと1時間もない。
日没との競争だった。
(この日に限って懐中電灯の用意が無いときた)

あるはずのない沢も渡った。
蔓が歩行を邪魔して時間をとられる。
完全に迷ってしまったらしい。
吾妻、安達太良の山並みでも見えれば、大体の位置がわかろうが
樹木に阻まれて見えない。

時折、マフラー改造のバイクの騒音が聞こえる。
そう遠くないところに道路があるはずである。
この時ばかりは、ちょっと有難い騒音だった。

そうするうちに荒れた工事作業用道路らしきものに出る。
藪を歩くよりは格段に速いので、その道を登る。
どこかに出てくれないかと祈るような気持ちだった。
すると、やっとのこと舗装された道路にたどりついた。

その時、この道路は道の駅から岳温泉へと行く国道であろうと
信じて疑わなかった。
従って北方向へ歩くと、何と新旧の115号線の合流する場所に出た。
まるで、逆方向だ!何でだ?!
どこかでワープして連れて来られたような気分だった。
時間は4時を回っていて日暮れまであと僅か。
危なかったが、騒動にならずに済んだ。

新旧、どちらのコースが道の駅に近いのか、地図がないので
わからなかったが、安全策をとり、新道を歩いてもどる。
アホくさい歩きだが、10分前の身の境遇から比べれば贅沢は言えない。

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いやはや藪歩きは何があるか分らないから好きなのだが、これには
久々に焦り、マジで五感をフル稼働させる結果となった。
「なめたらアカンぜよ!」という天明のお地蔵さんの声も聞こえてきた。


この日の他の収穫=野うさぎ一匹に遭遇。(一羽だったね)
この日の歩行距離=約8km
この日の上り累計高度=約450m 同じく下降累計高度=約450m
posted by 山口屋散人 at 17:59| Comment(3) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年11月08日

大滝は大滝宿と言って良いのか?

福島市から13号線を山形方面へと向かい、福島県側の最後の集落跡が大滝である。
正式には福島市飯坂町中野字大滝となる。

福島市民に大滝のことを説明するのには「大滝宿」と言う方が分かりやすい。
小生など何の考えも無く多用するのだが、はたと気づいた。
ここ何年か、大滝出身の方々と交流が増えたのだが、その方々は「大滝宿」とは
決して言っていないのだ。
大滝出身の方は単に「大滝」もしくは「大滝集落」とその故郷を呼ぶ。


大滝は万世大路の開削と共に明治初期に開拓された集落であり、確かに当時は
旅人宿や運送業が主要な産業であった時代はある。
が、奥州街道○○宿といった江戸時代から続く宿場町ではない。

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どうも、廃村以後に観光業者の建てたこの看板(近年まであって、13号線を通ると
いやでも目に付いた)に江戸時代からの宿場町と刷り込まれたのではないだろうか。


ともあれ、大滝集落のあらましの地図は「わが大滝の記録」さんに詳しく、何回も現地に
お邪魔もしているのだが、小生の頭の中でイマイチ位置関係がきちんと整理されて
おらず、こんな動画を作ってみた。



この動画を作った時は、大滝宿と言っていて何の疑いも持たなかったので、タイトルも
大滝宿となっている。
posted by 山口屋散人 at 08:48| Comment(10) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

国見町の名所史跡めぐり1



デジカメも良いがビデオも捨てがたく、先週は専らビデオを回した。
しかし、編集が容易でない。PCの性能もギリギリだ。
時間ばかり食うし、音声も余計な会話まで入ってしまうのが難。
消してしまおうかと思ったが、風の音も重要な要素だろうから、そのまま。

しかし、奥州道 国見峠長坂跡は単なる「町史跡」なのに驚く。
道がいかに長大とはいえ原型を止め、しかも峠だとそれ以上の価値があると
思われるのだが。
posted by 山口屋散人 at 08:50| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年09月24日

さてと、今週は

先週のお散歩のテーマは、寛延の三義民の一人、蓬田半左衛門の墓を探すこと。
名代官と名高い寺西封元の墓を訪ねることの二つだった。

寺西代官の墓は桑折の無能寺を訪ねればよいだけの話。
ついでに見事な松にも御目文字した。

義民半左衛門の墓は難敵。ぐるぐると廻るはめになった。
そもそも雨模様の中、歩いている人などいないので、聞くに聞けない。
小さな案内板があったので、やっと分かった次第。

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保原陣屋の門だったという長谷寺(ちょうこくじ)の山門は一見の価値ありだった。

さて、今週の天気は? 何して遊ぼうか。
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2011年07月16日

我が町 福島

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何をか況や・・
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2011年07月10日

菅野作左衛門の墓

1702年、板倉重昌(天草の乱で討死)の曾孫である板倉重寛が、やっと城の
ある領地(福島分で26500石)を拝領し、喜び勇んで初のお国入り(1704)となった。
その時、伏拝の坂で待ち構え、直訴におよんだのが菅野作左衛門である。

義人と称される人は多いが、一揆の指導者というのではなく、この菅野作左衛門
のような単独犯?は珍しい。(直訴はご法度、内容原因はともかく処断される)


顕彰碑は渡利の仏眼寺にあるのだが、彼の墓の所在が分からなかった。
ものの本には『渡利山之内』にあるとされるのだが、その山之内が現在の住居表示
には存在しないのである。
仏眼寺の近くには山之入という地名があるので、この近くかと漠然と思っていたの
だが、同じ渡利でも数キロ離れた立子山に近い地区だった。

福島街角の信仰」というブログを書いているfukutanさんのお陰で分かった。

早朝6時、仕事が休みという気楽さから、ちょっと出かけてきた。

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posted by 山口屋散人 at 19:32| Comment(4) | 福島 | 更新情報をチェックする

2011年07月05日

状況へ

千年に一度の大震災を、やはり見てこなければという思いで相馬市に行ってきた。

子供の頃から海水浴は相馬の海だったし、長じてからも我が家の出かける先は
ここの原釜海水浴場か若しくは浪江の海だった。
数年毎に業界の大会で訪れてもいたので、大体の地図は頭に入っている町だ。

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相馬市街地から港へと向かう。
6号バイパスを過ぎてすぐ目に飛び込んできたのは場違いな漁船だった。
地元の人の話によると、サーフィンのようにスーッと流されてきたのだとか。

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相馬港から松川浦大橋方面へと向かう。(その道中は動画で一番下に掲載)

至る所「関係車両以外・・」の看板がある。
大橋の手前にも有り、それ以外の情報は無いので、通れるかどうか分からない。
写真を撮りながら、徒歩で渡ってみることにした。
すると何台か車に追い越されたが、かまわず歩く。
ただし同じ車が間もなく戻ってくるので、先の方では通行不能のようだ。

車へと戻り、行ける所まで行ってみることにする。

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大橋を無事渡り終え、鵜ノ尾岬トンネルと抜けると、もう道路が寸断されていた。
外海とつながってしまい、浦という状態ではない。

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大橋を戻り、松川浦沿いを西へと向かう。

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JR松川浦のバス停の標識は、漁船がふさいでくれたお陰で無事だったようだ。
そのバス停の前で人なつこい猫が遊んでいた。

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松川浦から西に相馬市外街地へと向かう。

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満潮なのか、地盤が沈下したせいなのか、若しくは外海から直接流れこむためか
潮干狩りなどが出来た海とはとうてい思えない有様だった。






posted by 山口屋散人 at 08:21| Comment(0) | 福島 | 更新情報をチェックする